ところでWSERってなに? #2 / ウチサカ
そもそもは馬の100マイルレース(後にテヴィス・カップと呼ばれる)で、1955年にウエンデル・ロビーなる男の愛馬自慢、「馬はワンデイ(24時間)で100マイルを駆けることができるか?」 から始まっている。ここまでは前回#1。
ときは過ぎ、77年にとんでもない男が登場する。馬のレースに馬なしで出場して、自分の脚と足で走っちゃうゴードン・アインズレイだ。そう、彼がWSERの直接のオリジンだ。
でさ。スタートラインに並んだときに、愛馬の具合が悪いので、しかたなく、馬から降りて、自分ひとりで走り出した・・と思うでしょ、違うんだなあ。行き当たりばったりで、出たとこ勝負で、走ったわけじゃない。
子供のころ西部劇「ローン・レンジャー」に夢中だったゴードン・アインズレイ(ニックネームはゴーディ)。長じて大学生、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)に通っていた当時、馬を買って《反逆者》と名づける、71年と72年にテヴィス・カップに出場するのだ。馬好き大学生。
ところが、72年のライドのあと、ゴーディは恋に落ちる。結婚したいと思うくらいだから、彼女のいいなり。で《反逆者》がほしいと言われて、愛馬をプレゼントしちゃう、ばっかだなあ。もちろんゴーディは彼女にフラれ、馬はもっていかれた。あーあ、古今東西よくある話。
茫然自失の日々から目覚め、73年のテヴィス・カップ出場のために新しい馬を手に入れるのだけれど、新しい馬は29マイル地点で脚を痛めてしまう、リタイア。実はゴーディの体重は200ポンド(90Kg)を越える。無理もないか。
さてさて。テヴィス・カップを運営するウエスタン・ステイツ・トレイル財団のスタッフにドルシア・バーナー(テヴィス・カップ最初の女子チャンピオンでもある)という女性がいるのだけど、こっちは女神さま。「馬なしで走っちゃえば」と踏んだり蹴ったのゴーディをけしかけるのである。馬のレース運営のスタッフがそんなこと言っていいのかい?
山岳悪路100マイルを走れる(可能性のある)馬はそういない。いたとしても簡単に手に入るものじゃない。だったら自分で走った方がカンタンだ、ゴーディはロードレースのトレーニングを始める。「キャッスルロック50K」に出場し、乗馬とランのデュアスロンレースにも参加する。もうすでにトレイルランナーだ。
そして翌年74年、準備万端整えてゴーディは他の馬とともにテヴィス・カップを馬なしで走り、みんごと23時間42分でオーバーンにフィニッシュする。あまりのうれしさに前転してフィニッシュラインを越えたという。
事前にゲーターレイド(当時唯一だろうスポーツドリンク)を10本(合計9.5リットル)、コース前半52マイルに分散してデポしておいたけど、それでも電解質不足で一度ぶっ倒れている。WSERの暑さはひと桁もふた桁も上の暑さだ。
しっかり準備しておけば、人間だってワンデイでウエスタン・ステイツ100マイルを走れるんだ。ここにゴーディが証明し、アメリカの100マイルレースのモノサシが出来上がった。その裏に女子たちがいたこと、誰も知らない。
あいつにできるならオレだって、と翌年から馬なしでテヴィス・カップ参加する選手が増えてゆく。
ついに1977年、乗馬大会からスピンアウトしたトレイルラニングレース《ウェスタン・ステイツ100マイル・エンデュランス・ラン/WSER》が開催される。数多くのレジェンドを育て、奇跡と神話を生み、アメリカを代表するウルトラレースになるまでそう時間はかからない。石川弘樹さんは07年に出場している、9位だ。
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