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ときわ座映画上映会~「めんどくさい」考

『めんどくさいことを手放さない暮らしを考える映画上映会』
高田馬場ときわ座編 2023年10月1日
●コスギエイゾウ監督作品
『低く飛べば落ちても痛くない』
『オギノエンファームの夏』
●下之坊修子監督作品
『めんどくさいことを手放さない暮らし』
3本立て映画上映会 休憩時間にコルネット独奏ミニミニライブ
上映後に対話の時間 軽食付き

ときわ座 タローさん、KEIKOさん、小西さん
コスギエイゾウさん、下野坊修子さん
ホリさん、女川さん、山本恭子
オギノエンファーム 荻野茂喜さんのお話とお茶販売
低く飛べば・・・の出演者の方々もお見えになりました。

2人の監督の合計3作品、それぞれテーマは別々ですが、共通する部分も多く、相性のよい組み合わせだったと思います。

特に下之坊監督の作品は登場人物がとても多く、一度観ただけでは消化しきれないほどで、いろんな人間のいろんな生き方、取り組みがめくるめく紹介されていく中に、下之坊修子さんという一人の人間のまなざしというよりも人生が経糸となって、筋が通っていたのを感じました。

終わった後、概ねみなさん残られて、一人ひとこと、ふたこと、感想などのコメントをいただきましたが、1人1人が何かを感じて、自分なりのなにか答えやヒントを得て帰られたのではないかと思います。

楽器の練習、選曲、譜面の準備、ライブの企画、集客……演奏活動を継続して行うためのあらゆることは「面倒」なことだ。いっそ人前での活動をやめてしまえばラクなのに。感じたままをテレパシーで伝えられれば、あらゆる表現活動は要らなくなるのだろうか。今年亡くなった友人ぺぺ長谷川さんは「面倒くさいヤツが一番面白い」と度々話していた。面倒なことのその先にしか自分の期待すること、それ以上のことは起こらない、などと思う自分が一番めんどくさい。

これは当日の配布物用に寄稿した「200字程度」の文章です。

私は根っから「めんどくさがり」なので、教わったばかりのことをどこか端折れないか、手を抜けないかとすぐに考えてしまいがちです。父の座右の銘も「果報は寝て待て」というので、遺伝かもしれません・・・そんな父は寝たきり生活ですので洒落になりませんが。

でも、他人から見て「面倒くさそう」と思われるかもしれないことの中でも自分ではあまりそう感じることなく続けてきたこともあります。音楽がまさしくそうです。というか、続けられることは自分にとって面倒なことではないのかも。いや、でも面倒だなと思うことも多々あります。演奏会本番だけがあるということはなくて、それに向けての様々な調整、人間関係、費用のこと、集客のことなど面倒はたくさんあるのですが、それらを凌ぐ、厭わずに続けられるような魅力的な何かがあるから、過ぎてしまえば忘れてしまうというようなことの繰り返しだと言えます。

梅干しも10キロを超えると、ひとつひとつの工程に随分時間を取られますね。らっきょうが最近直売所などでも高いので、畑の小さならっきょうを収穫して、泥付き、根付き、ひとつひとつが分離してない状態のものを初めて塩漬けした時は、こんなに手間がかかるのかと驚くとともに、危うく腱鞘炎になりかかりました。

農作業とまで言えない、土いじり、自然観察の域を出ない畑・田んぼ通いも6年になりますが、どこも遠いので、行くのが面倒。汚れても良い服装を本当に泥だらけ、汗まみれにすると、帰りの2時間半、そのまま電車に乗るのは椅子にも座れないし、冷房で冷えるのも体に悪いしだけど、荷物がかさばるのが面倒。着替えが面倒。と思うけれども通い続けられるのは、現地に近づくにつれ心が弾むのを何度も体験しているし、暑くても寒くても、気の遠くなるような作業でも、やり始めるとなんだか楽しいのが農作業の良いところ、なのです。特に私のやっているのは草取りも基本的には全部鎌で手作業だし、田植えも稲刈りも手作業で、道具といえば数十年前の足踏み脱穀機や手回し唐箕くらいのものです。通路など共有地は草刈り機をついでにかけてもらうこともありますけれど。苦労したくてやっているというより、草刈り機のスピードだと、生えている草を見分ける楽しみがなくなってしまうし、虫などの生き物の命を奪ってしまう可能性も高いし、それら生き物の姿を見たい私としては逃げられちゃ困るというわけで。いつまで続けられるかわからないけれど、そんな面倒なこと、機械でやってあげるよと言われても、「余計なお世話」なんです。

面倒だと感じること、そうでもないこと、手放したくないこと、工夫して改善していくこと・・・考え始めると壮大なテーマだなあ。良い映画を観ました。ぜひいろんな方に引き続きご覧いただきたいと思います。

サポートいただければ幸いです。