「窮鼠」を支配する『青』と『橙』、『水』と『火』について。


原作未読のジャニヲタが「窮鼠はチーズの夢をみる」を見て『光・火・昼間』と『青・夜』、それから『水』をピックアップして考察しました。


①今ケ瀬が煙草に『火』を付けるのが恭一が『本気になる、スイッチが入る』を意味?

②『生々しい女性との性行為(陽の光、オレンジ)』と『美しい今ケ瀬との性行為(夜の光、青)』の対比

③ラスト近くに浜辺のシーンを持ってきた意味→二人の関係はずっと『青い』けど、別れの浜辺のシーンでは朝日が登ってきている→二人の『夜』(青)の終わり?

④ラスト、今ケ瀬は『昼間』男に抱かれていて、恭一も『昼間』今ケ瀬を待っている=③の『朝』の後。完全に二人の『夜』が終わってしまい、今ケ瀬が戻らないことを示唆?


→つまり今ケ瀬が根気よく灯していた『火』は太陽となり『朝』をもたらしてしまった(『青・夜』を終わらせてしまった)ということ

(二人の最後の行為は間接照明が付けられている=オレンジであり、『青・夜』からの退却を意味している?)

(青いカーテンにより戻らない偽の『青・夜』を再現しようとしている?→しかも今ケ瀬はそれに否定的な台詞を残す)



『水』と『火』の考察

『青』い二人の『夜』で煙草は唯一の『火』。妻のシャワーを中断こそすれ止めなかったり、外は雨が降っているなか今ケ瀬を受け入れたりするが、最後婚約者の洗い物を止める。(婚約者との別れ話でもコーヒーを飲まない)

→恭一が『水』のように流されるのをやめた比喩?


そして恭一は捨てられていた今ケ瀬の灰皿を『洗う』。

→自分の意思で『待つ』ことを決めた表れであると同時に『火』を消すための灰皿をさらに『洗う』ということが二人の永遠の別離を示す?



考察まとめ

→今ケ瀬の付け続けた『火』は二人の『青い夜』を照らしたが、『朝』がやってきて『昼』になり、恭一は本人も気付かぬ内に完全に『火』を洗い流してしまった。



おまけ

婚約者ちゃん→母親と同じように『一番』になれなかった=家族制度から弾き出された=法律や世間が許さない『同性愛』を隠喩? というか、女性版今ケ瀬?(分類的には同じになる存在なのかも)


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