痛みとして残っているもの

あとでマイティコンパニオンに吐かしてもらうと思うけど、
ちょっと過去の痛みとして、今ぶり返しているものを書いておく。

今、動画ファンクションに取り組んでいるところなんだけど、
Macを長年使っている=パソコンならなんでも知っているに違いない
みたいな期待にさらされることがあって、
以前、とある友人宅に別件で遊びに行ったとき、
突然「Windowsの調子が悪いから直して」
みたいなことを友人に頼まれたことがあった。
Macもパソコンなんだからわかるでしょ?みたいな理由で。

最初からシステム的な部分からMacとWindowsは全く別物なんで
わかりません!!直せません!!と言っても全く聞かず、
大丈夫だよー直せるよーと言い張られて
仕方なくスマホで色々と調べて何時間も頑張ったんだけど、
さっぱりわからない。
お手上げだよ無理だよと断ったらえらいがっかりされた。

それで結局Windowsを使ってる別の友人に頼んで見てもらったらしい。

この友人には、
なんか色々な期待をかけられることが多く、
信頼っていうのかな、
これは信頼って言わないかもしれないが、
何かと言うなりになってくれそうみたいな願望や
スペシャルな自分に引き上げてくれそうみたいな願望が重くて、
距離を置くことにした。

こういうのって行動のレベルでは強く断るしかなかったのかもしれないが、
子泣き爺的なしがみつきを振り払うのって難しくて、
結果、人間関係の断捨離になってしまう。

私には無理だって言っても聞いてもらえない時、
しがみつかれた時、
それは私が「私知ってる」をどれだけ強く持っているのか、
掴んで握り締め続けているのか、
それを教えてくれているのかもしれない。
たとえ人間関係の断捨離になったとしても、
私にはわからない、
私は全くわかっていなかったんだを選ぶ機会なのかもしれない。


ちなみに、大昔、
まだ私がインドアだった頃にとあるイベントに参加した時に、
よそ様(しかも知らない人)の小学2年の女の子とコンビを組まされた事がある。
少し歩いたら、歩けなくなって「おんぶ」をせがまれた。
しかも百貫●ブな子で多分50kgはありそう。
とてもおんぶなんかできないので手を握られたまま、
立ち止まったままシカトしたらすっかり嫌われた。
あの百貫●ブという視覚的な見え方からも
私の握っているものの大きさみたいなのをさっき気付かされた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?