わからないことを学ぶ


昨日やった課題・コップの中に入った氷と色のついた水

ここのところ忙しくて、昨夜久しぶりにBlenderの勉強をした。

その時、あれ??と思う現象が心のなかにあった。
それは「こういうものを作れるようになりたい」という目標があるのに、
そのための勉強をしているところなのに、
勉強をしたくない。
反対に合気道だと、わからないこと(技)、
なかなか理解できない技に対してわかりたいという意欲が湧いている。
形で見ると、Blenderは「対・私」であるのに、
合気道は「対・相手(上段者)」

コースをベースに単純に見ると、分離を信じていたい、になるのだが。

でも小さい頃の私を振り返ってみると、
「対・私」も嫌だったし、特に「対・相手」はもっと嫌だった。
なにか間違いや失敗を犯すと責められると思っていたからだ。

その認識を最初に壊したのが山の仲間でもあったわけだけど、
(怪我なく、最悪死ななければいいよ!!とミスをゲラゲラ笑われたこと。しまいにはそれが笑いのネタになった)
今やっている合気道の場合、
上段者は下位の者に親切に教えなくてはいけない
みたいな決まりのようなものがあるようで、
しかも、合気道には技の掛け合いはあっても、
勝ち負けというものがないので、
上下関係はあっても、他の格闘技と違ってフラットな関係のように感じる。

で、「対・私」を感じたBlender。
ふと、今感じたもやっとしたものが、仕事と私との関係に似ているような。
それがなんなのか明確になっていないが、
なるたけ時間を作って、Blenderの勉強をするようにしてみよう。
なにか気づくかもしれない。



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