テレビ番組の限界~サイトを立ち上げた理由~

※この投稿は2005年6月20日にWEBサイト「ウチナーコンボイ通信本部」内のコラムコーナー「余計な一言」に掲載した記事の再掲です。

 私の本業は、テレビ番組を作ることである。だから、情報発信なんてことは、仕事として常日頃やっているわけで、周りから見れば、改めてWebサイトなんて立ち上げる必要もないのでは…と思われるだろう。
しかし、テレビ番組というものには時間制限がある。短いもので3分から5分。長いものでも、2時間30分。まぁ、6時間とか24時間なんていう番組もあるが、それは私には関係の無い世界である。

だが、その3分から2時間の番組を作るためには、膨大な取材や仕込をしなくてはならない。たった1時間の番組でさえ最短で1週間の準備が必要なのだ。そして、集めた資料や情報を、番組として組み立てていくわけであるが、その作業の中で必ず「捨て」なければならない情報やエピソードが存在する。

番組を縦軸、つまり、最初から通して見ていった場合、全体としての起承転結とか「つじつま」とかが合っていなければ、視聴者としては気持ち悪い。バラエティ番組で、短いコーナーが立て続けになっているものでさえ、その中の数分のコーナーにも、それが存在する。テレビディレクターや構成作家と呼ばれる人たちが必ず通る作業。

「このシーン、面白いんだけど、使うと話が飛んじゃうんだよなぁ。」

テレビ番組の構成・演出に携わる人々が一度は吐くセリフである。色々調べて、色々話を聞いても、実際に放送に流れるものは、多くても5分の1、少ないときには、100分の1である。30分話してもらったインタビューでも、使ったコメントはたった一言なんてのはざらだ。

テレビ職人としては、それは当然の作業である。使えないものは使えない。しかし、人間として考えたときに、それはあまりにも冷酷非道な行為である。取材された当人は、必要最小限の言葉を選んで話してるはずだ。それ以上に、「これだけは話さなくては」という最小限の義務感を感じながら言葉を選んでいるのである。ところが、それをテレビ職人は「使えない」「いらない」と言って切って捨てる。これは、相手に対して、実はとても無礼な行為である。

私はテレビ屋である。しかし、一方で人間の心を忘れることは出来ない。私はこのホームページで、放送では使うことが出来なかった印象深いコメントやエピソード、取材はしておきながらも紹介することが出来なかった細かい情報などをご披露していこうと思う。

ちなみに、前もって言っておくが、ここは業界の暴露話系のサイトとは違う。確かに、仕事柄色々な裏情報も耳にするが、そんなことは鐚一文出すつもりは無い。企業秘密と言うよりは、同業者としての「武士の情」である。芸能界の暴露話が聞きたければ、そういうネタを扱っているサイトは山ほどあるので、そちらに行かれることをお勧めする。ここは、あくまでも私「ウチナーコンボイ」が、視聴者と直接繋がる事を目的に作ったサイトなので。そのへんを理解して頂いた上で、このサイトをお楽しみ頂きたい。

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