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若さは誰のものなのか

成人式のときに書いたブログの中で、私は自らの若さに対する恨みにも近い文句を垂れた。

その内容は、「若さが放つ輝きのせいで、本来の自分自身の輝きがかき消されてしまう。けれども歳を取り、若さの輝きが薄れていくことによって、ちゃんと自分の力で得てきたものが人の目に届くようになる」というようなものだった。

私は今もうんうんと頷きながらこの文章を打ったが、けれどもふと思う。

どうして私は、自らの若さをそんなにも疎まなければならなかったのだろうか。

先述したブログの中では、年齢的な若さについてのみ取り上げたが、そもそも若さとは年齢だけで推し量れるものではない。

では、私は若さをなんだと思っているのかというと「未知なるものに対して常に好奇心を抱き、現状に甘んずることなく、人生を楽しんでやるという覚悟にも似た生命力に満ちている状態」のようなものだと思っている。

この状態にある人はいくつになっても若々しいし、逆に疑問を唱えることを忘れ、現状に甘んじて、自分を楽しませるものへの積極性を失った人は、いくら年齢の数が小さくても若々しくない。

そういう意味においては、私はいつまでも若くいたいと思っている。

けれどもそれは、"十代に戻りたい"というような意味合いとはまるで異なることを、ここまで読み進めてくれた人ならばわかってくれるだろう。

私は決して十代に戻りたくはない。

しかしそれも、12月にあった20歳の誕生日以前の私に戻りたくない、ということとは違う。(むしろ、コロナがこんなにも恐ろしいものだと知ったからには、戻りたい気持ちでいっぱいだ)

この矛盾は一体なんだ。

こんがらがってきたけれど、ここで16歳の私の葛藤を思い返してみる。

この時点で私はすでに早く歳を取りたいと思っていたが、その一方で、絶対に17歳にはなりたくない、とも思っていた。

その理由は、17歳がいかにもJKな、いかにも華の、いかにも頭が悪そうな年齢だったからだ。

17歳であるというだけですべての行いに説得力がないし、けれどあらゆる言動に付加価値がつけられ、それと同時に見下される。
仕方がない、だって17歳なのだから。

そんなことを思い悩んでは絶望していた16歳の私と、ふた月前に成人喜ばない宣言をした私、つい先ほどまで彼女たちの言い分にうんうんと頷いていた私に、今、私はこう言ってあげよう。

「若さを消費する世間や誰かを憎むことと、自らの若さ自体を憎むことは、混同しがちだけれど、でも絶対ひとまとめにしてはいけないよ」と。

これは若さに限らず、この世のとても多くの事柄に当てはめられることかもしれない。

たとえば、女性の権利を主張することと、男という性を非難すること。
結婚を当たり前として押し付けられるのは嫌だと思うことと、一生家庭を持たないと決意すること。
マイノリティな自分を守ることと、マジョリティである誰かを攻撃すること。
それを欲しいと思うことと、それを持っている誰かを妬むこと。


これらを明確に区別するのは難しいが、ひとたび取り違えてしまうと、自分の本意ではない言動で誰かを傷つけ、それによって身動きが取れなくなり、間違いに気付くまで延々と自らを戒め続けることになる。

このような、自分を苦しめたものに対する反抗として人生を犠牲にしてしまう行為、または願望は、割合や透明度に差はあれど、もれなく全員の心の中に巣食うものなのではないだろうか。

かく言う私もそのひとりであるし、これからも多かれ少なかれ、その反抗心を原動力として人生を送っていくのかもしれない。

しかし、それをポジティブなパワーにするために、今ここで私がはっきりさせておくべきなのは、「私は若さを商品化する世の中が大嫌いであるものの、17歳の自分のことが大嫌いだったわけではない」ということだ。

私は、「私の価値を"年齢的な若さ"と"容姿的な美しさ"に固執させようとしてくる人」がうざったいのであって、それは私が私自身の、より多くの意味合いを含んだ若さと美しさを愛しく思うこととは、まるで別の問題なのである。

なんともややこしく、当事者にとってしか意味をなさないラベル分けだろうか。

ひどく絡まり合った無数の糸の根本を探り、それぞれが別々の糸であることを知る作業のような、あまりにも地道で途方もない、泣きたくなるほど孤独な工程である。

そして、その結果がどうあろうと、社会は一向に変わらないし、憎い誰かをギャフンと言わせられるわけでもない。

けれども、少なくとも私は十代の自分を責めずに済んで、それによって十代に対する偏見を取り払うことができたので、これから先、過去の自分を苦しめた誰かと同じようにはならないだろう。

これはひょっとすると、ものすごく大きなことを成し遂げたのではないか。

こうした気付きを得ることで、私は過去の自分と未来の自分、両方を救うことができたのだ。

よくやった、と私を撫でまわしてやりたい。

そして、私だけの若さと美しさを、これからも育てていきたいと思う。

2020.4.6 LINE BLOG

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