祝、ただの20歳
新年あけましておめでとうございます。
20歳になったかと思いきや年が明け、あっという間に成人の日がやってきては過ぎ去って行きました。
新成人…というのはなんだか間抜けな響きだなぁと思います。
私もその一員であるはずなのですが、どうにもこの新しいスタート的なムードに乗り切れていない、というのが本当のところです。
もしかしたら、成人式に行っておらず、振り袖を身にまとうこともしなかったからかもしれません。
近頃思うのは、何かをするとかどこかに出向くのと同じくらい、何かをしないとかどこかに出向かないというのは大変なのだということです。
どちらにせよそれぞれの苦労を背負わなければならなくて、つまりは、そのどちらかを選ぶということこそが私たちを苦しめるのだと思います。
だから、成人式に行かないのも、振り袖を着ないのも、けっこう大変でした。
「成人式行かないの?」「振り袖は?」「前撮りは撮ったの?」「せっかくの20歳なのに?」
などなどの間を掻い潜り、確固たる意志のもと、私は無事「やらない」を達成したのです。
なぜそこまでしてわざわざ「やらない」を選んだのか、というと、おそらく万人に納得してもらえる答えではないでしょう。
私は常々、自らが若くあることを疎んできました。
自分が未熟であり、深くものを考えていないという証拠であった年齢というものが、忌々しくて仕方がなかったのです。
いずれ失われていくものの象徴としての若さが放つ輝きは、私自身の輝きとは無関係なものであると思えました。
だからこそ、私が私の年齢を気にかけないこと、20歳を特別輝かしいものにしないということが、私自身に対する最もふさわしいお祝いであったのです。
歳を取るにつれて「若さが放つ輝き」が霞んでいき、自らの輝きが人の目に届くようになることを嬉しく思います。
これまでの決断が間違いではなかったという証明、自分なりの答えを見出し、確かなものを得てきた身代わりとして、私たちは若さを失っていくのでしょう。
私とあなたの、出会いと知識と努力に、それに費やした戻ることのない時間に、これまで選びとって叶えてきたすべてに、心からのおめでとうを送ります。
2020.1.14 LINE BLOG
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