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雨宿り

 雨粒が裸の枝の先っぽについて、きらきら光るつぼみになってる。春の雨が、私は好きだ。さらさらと世界をなでるように降り、音もどこかやわらかく、立ち上る土の匂いは夏の気配をもふくんでいる。春は頭がぼんやりとして、心もからだも鈍くなり、どうにもいらつく日が多いけれど、雨が降ると滞っていたものが清く洗い流される思いがする。それに、ぬくもりを帯びたあわい風景につめたい滴が降りそそぐというその現象は、ただそれだけで息を呑むほどうつくしい。

 こんなふうに自分の気持ちを文字に起こしてひとつにまとめて、見知らぬだれかに届けるような無謀なまねを続けているからか、ひとと関わるのがさぞ上手いのだろう、と勘違いされることが増えた。いつでも適切な距離感で、的確な言葉使いで、あらゆる選択を間違わずにひとと交われる、とまでは思われていないかもしれないが、少なくとも実力以上のものを期待されているように感じる。実際は、自分の気持ちをひとに伝えることを無謀と言い切ってしまえるくらい、私はひとと関わるのが下手だ。大人になって前よりはひととの距離感を覚えてきたが、それでもやっぱり、難しいものは難しい。

 ひとの気持ちのみならず、私は私のこともよくわからない。こうやって文章を書くとき、私はメモを取ったりプロットを組み立てたりしない。白紙にそのまま流れるように文字を打っている。自分がなにを書こうとしているのか、なにもわからないまま、というよりも、自分がなにを考えているのかわかりたくて書いているのだ。文字に書き出してみてはじめて、私は私がなにをどう思っていたのかを知る。それはめずらしい体験ではないだろうけれど、それにしても私は、はたして思っていたから書き出したのか、書き出したから思っているのか、いつもわからなくなりながら、茫洋とした闇のなかで光る言葉を探している。

 「そんなの怒って帰ればよかったんじゃないの」と、憤慨した出来事を話す私よりも腹を立ててくれている友人に言われたのは、一度限りではない。言われると私は、たしかに、と思う。そういうことをしたことは、ある。けれどもしかし、ほとんどの場合耐えてしまう。そのときは耐えている自覚はないのだが、あとからふつふつと怒りがわきあがって、その頃にはもうそれをぶつける相手はすっかり立ち去っている、というのが私の通常だ。私の感情には瞬発力がない。その場ではもやりとした違和感だけで終わって、あとから感情らしいものがあらわれる。それはやはり、私がなにもかも言葉で把握したがるせいかもしれない。感情はいつも言葉を得てからふくらんで、そうして言葉によって収斂していく。

 それなら感情的になることはないのかというと、そういうわけではまるでなく、むしろ私は心の動きに支配されやすいたちだと思う。言いようのない熱がぶわりと一瞬でからだじゅうにひろがって、目頭から熱くこぼれそうになることなんかしょっちゅうある。でもそれは、その時点では感情ではない。あくまで肉体の反応に過ぎなくて、それが悲しかったとか悔しかったとわかるのは、ずっとあとのことだ。そうしてそのときにはもう、それが真の悲しみであったかどうかは確かめようがない。私はほんとうの意味で私を知ることはできない。そんなあたりまえのことを憂うのは、くだらないことだけれど。

 私のなかで心とからだと言葉はいつもばらばらで、それぞれがそれぞれのタイミングで動き、ひらめく。それが普通だと思っていたのだが、しかしすべてのタイミングが限りなく一致しているひとというのも、どうやらいる。なんて健康的なのだろう。そんな状態にはあこがれるけれど、しかしそうなると私の大好きな言葉探しの時間が失われてしまうので、やっぱりこのまま少しずれた時間のなかを首を傾げながら進んで行きたい。というか、どうがんばっても私には、それしかできない。

 なにを書きたいの?とか、なにを書いているの?とひとに聞かれて、いつもごにょごにょと口ごもってしまうのは、すなわちこういうわけである。私はなにかを伝えたくてものを書いているのではなく、ただ書きたいから書いている。なぜ、と問われても答えられない。あえていうなら、それが必要だから。そしてなにより、もやのなかに手を突っ込んで言葉をつかんで並べてみるのが、楽しくて仕方ないから。書くのが好きだ、ということだけは、胸を張って言える。一応、そのときどきになんとなく考えているトピックはあるものの、それがどうやって形になるのかは、書いてみないとわからない。それこそが言葉を綴るおもしろさだと思うけれど、お察しの通り、ビジネスにはすこぶる不向きである。

 さて、この文章も雨宿りの最中につらつらと、行き当たりばったりで編み始めたので、どこに着地すればいいのかわからない。雨もやまない。向かう先も決めずに歩き出し、目的地もないうえに、道に迷って途方に暮れている。ああ、まったく人生とおんなじだ。せめて言葉のなかでくらいは、上手に生きたらいいというのに。

2024.3.30

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