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いつも胃痛

 胃が痛い。この頃の私は消化器官の調子に一喜一憂している。おなかの調子がよいか悪いかでその日がよい日か悪い日か決まる。なんにせよ、調子がよくないときに外に出ると歩きながら胃がぐるぐると回り出して、家に帰って休むまで吐き気を堪えるはめになるのだ。そしてここ最近はずっと、そのような悪い日が続いている。

 しかし考えてみたら、私のからだが絶好調だったときなんかあっただろうか。絶、まで欲張らなくても、好調であったこと。うーん、ないかも。つねにどこかが痛かったりだるかったりしていると思う。今日はかなり調子がいいと思っても、翌日にはまた不調がぶり返している。特におなかの機嫌にはずっと振り回されており、小学校低学年の頃から腹が痛いと保健室に通いつめていたし、朝に体育なんかがあるとしにそうになった。街に出ると吐き気がするのも中高生の頃からやっている。低血圧、自律神経失調症、虚弱。そんな言葉はなんにも解決してくれないどころか、つかの間の慰めにすらならない。

 そして先日けっこうつらい日があって、こんな目にあわなきゃいけないなんておかしい、とふつふつ怒りながら横になっていたとき、病院に行くべきでは?と天啓のようにひらめいた。ばかばかしいことに、それまで整体なんかに行くことはあっても、内科の病院にかかることをしてこなかったのである。これは性質のようなもので、病院なんか行ってもどうせ治らないし、あれこれ的外れなことを言われてつかれるだけだと、思うでもなく思っていたのだ。その気持ちは変わらなかったが、でもまあ試しに行ってみるか、と重い腰を上げ重い胃を抱えチャリンコを走らせた。

 内科では整体のときと同じことを聞かれ、そうして整体のときと同じことを答えた。
「不調はいつからですか?」
「うーん、ずっとです」
「ずっとって、具体的にはいつから?」
「うーん、うーん、わからないです。ずっと、子どものときからです」
「はあ。今まで病院にかかったことは?」
「ありません」
 医者は怪訝な顔をする。そりゃあそうだ。そしてお茶を濁すみたいに、とりあえずレントゲンを撮りましょう、と言う。

 中学生のとき右ふとももの外側がしびれるからと病院に行ったら、あれよあれよと大学病院で検査することになって、MRIなんかも撮ったのだけれど、あのときレントゲンも撮ったんだっけ。ていうかMRIとレントゲンの違いってなんだろうかと思いながら、きびきびした看護師さんに渡された病院服に着替える。そしてどきどきとカメラに見えないカメラの前に立ち、写真じゃないんだからキメ顔はしなくていいんだよね、などと思っている間に「はい、いいですよー」と言われる。あまりにも一瞬で、ほんとうに撮れたのだろうかと疑う。

 もう一度診察室へ呼ばれると、それはきちんと撮れていた。当然だけれど胃は写っていない。背骨と肋骨と骨盤が、骨格標本とおんなじ形で並んでいて、骨だけではまるでだれかわからないなと思った。たとえ胃や腸や心臓が写っていたとしてもそうだけれど、でもなんだか、皮一枚なくなってしまえば私は私じゃなくなっちゃうんだ、ということがありありと感じられてぞっとした。でも逆に、この黒い画面に青白く浮かぶ無機質な物体こそが私の本体なんだろうか。背骨のまわりのくうに浮かんだもんやりした黒いのが胃の空気で、骨盤のそばのもんやりした黒いのが便だという。へえー、と私はまじまじ見たが、とても自分ごとに思えない。医者は写ったものに特に異常はないと言ったが、私にとっては写し出されたすべてが異常でしかなかった。なんにもしっくりこないまま、胃腸薬をもらって帰った。

 もらった薬はきちんと服用しているものの、しかし一向によくならない。どうせこんなことだろうと思った。中学生の頃の右もものしびれも結局なんにもわからなくて、なんか難しい病名を言われたけれど皮膚上のことだから気にしなくていいとかで終わって、いまだにしびれたままである。生活に支障はないが、寒くなるとピリッとしてあっと思ったりする。胃腸も変わらず日々悪かったりマシだったりして、私は飽きずにうなだれたり、気のせい気のせいと外出してはおえっとなったりしている。体力がないんだろうか、と思うけれど体力をつける体力もない。それでもたまに、なぜかわかんないけど元気はつらつなときもある。私はあの、青白い物体や空気の影の、得体のしれない私に振り回されている。ずっとずうっとそんな感じ。

2024.5.27

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