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トンとハーネス

晴れた日、トンは窓辺でうるさく鳴く。

あきらかにイラ立っている低い声で、何度もなにかを訴えたあとは、痺れを切らしたようにケージに登ってカーテンに手をかけ、ビリビリといやな音を出す。

抱っこしてなだめたり、大好きなヘアゴムを飛ばしてあげても、トンは要求が叶うまでしつこくそれを繰り返し、私が折れるまで決してやめない。

そうまでしてトンが求めるもの、それはおもちゃでも、おやつでもなく、「おさんぽ」である。


トンはペットショップから迎えた猫だったし、最初から完全インドアで飼うつもりだった。

しかし、安全な家の中に閉じこもることと、危険を承知の上で外へ出向くことの、どちらがトンにとって幸福なのかは、どれだけ考えてみてもわからない。

だから、トンと私の仲介人である、ペットショップで働く友人の言葉に、私は少なからずほっとした。

「猫ちゃんは犬と違って動き回りたい欲求はそれほどないので、家の中でも十分幸せですよ。しかもあんなに大きい家なら、十分すぎるくらいです」

「家についてすぐは怯えて箱から出てこなかったり、ケージの隅に引っ込んじゃうかもしれません。慣れるまでは構いすぎず、2週間はケージの中で過ごさせてあげてください」

初めての水槽外で飼うペットに不安と緊張を抱えながらも「はい!」と私はよい返事をし、彼の監禁を心に決めた。

だけれどそのどちらも、トンからすればとんだ幸福の押し付けだったそうだ。


ペットショップから帰宅して、巨大なケーキボックスみたいな箱をおそるおそる開けるやいなや、待ちきれないとばかりにトンはぴょこんと顔を出し、少しもためらうことなく未知なる世界に飛び出した。

その勇ましさに私たちの方があわてて、あらかじめ組み立ててあったケージの中に急いでトンをしまったが、その日トンは一晩中鳴き続け、翌朝は声が枯れてしまっていた。

そのときはトンが寂しいのか、お腹が空いたのか、不安なのか、なにもわからなかったけれど、今になって当時の様子を収めた動画を見ると、ブチ切れていたのだとわかる。

トンが訴えていたのは不安ではなく、閉じ込められたことに対するあふれんばかりの不満と怒りだった。

猫初心者だった私も、やがてそのことに気づかざるを得なくなった。
2週間、そのサイレンのような鳴き声で、トンがめげずに訴え続けていたおかげで。


そうしてようやくケージの外へ出たトンが次なる冒険を求めるようになるのは時間の問題で、しばらくは郵便を受け取るのにも緊張が走る始末であった。

カシャンとひらく門の音や、ベランダに続く窓がキィと鳴る音に、トンはどこからともなく駆けつけて、興味津々で境界線を飛び越えようとするからだ。

そんな戦々恐々な日々の末、トンの外出欲求と私の過保護の妥協点として、黒くがっしりとした猫用ハーネスは我が家にやってきたのだった。

さっそく装着してみる。
が、猫は毛が覆われると感覚が狂ってしまうそうで、ハーネスを取り付けた途端、トンは電池の切れたおもちゃみたいにパタリと倒れ動かなくなってしまう。

調べたらおやつで釣るなどして訓練させるようだったけれど、トンの食にがめつくない上品さが仇となり、毎日数分ハーネスの時間を設けるものの一向に進歩がない。

どうしたものかと頭を抱えるも、トンはおやつより「おそと」の方が釣られるのでは、とある日ひらめき、電池の切れたおもちゃ、もといつきたてのおもちのようになっているトンの目前で、ベランダに続く窓を開けてみる。

すると淡いブルーの瞳がきらり光って、もちもちと体を起こした思うと、よたりよたりと不格好に歩いていって、ついに、トンは夢のおそとにちいさな足を踏み出した。

どんだけ外行きたいんだよ、と今は冷静に突っ込めるが、そのときは我が子の努力と成長を前に、涙腺がゆるんだものである。


これまで『トンのおさんぽヒストリー −序章−』を語ってきたけれど、これだけ読むとまるでトンは勇敢な、こわいもの知らずの猫のようだ。

実際はその逆、トンはかなりのビビりといえる。

この前も、自分から道路の方に出向いたくせに、車の音にびっくりして猛ダッシュで逃げながら、のろまな私にキレ散らかして、その後しばらくはおさんぽに行きたがらなかった。

そんなにこわいなら近寄らなきゃいいのに、と母なんかは言うのだけれど、私はトンの気持ちがわかる気がする。

きっとトンは、こわいものを知るより、こわいものを知らないままにしておくことがおそろしいのだ。

本当の臆病者というのはそういうもので、『ソナチネ』での北野武の名台詞「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」が表すように、なにかを恐れれば恐れるほど、それに惹かれてしまうものである。

だからトンは、濡れることが何よりも嫌いなはずなのに、わざわざ湯船にたまった水を飲みに行っては、足を滑らせてびしょびしょになったりするのだろう。

落ちるのが湯船だったらまだいいけれど、帰って来られないところへ足を滑らせないように、私はしつこく鳴くトンにハーネスを着せる。

「お前とおれとの間に関係ができてるものを、お前が勝手に死ねば私の一部が引きちぎられるってのがわかんないのかよ」

これは北野武ではなく、斎藤学という精神科医が、自殺未遂をした患者に放った一言だ。(ヘンでいい。―「心の病」の患者学 齋藤学×栗原誠子

私は人間なのでこのセリフにはふるえたものだが、猫はぜったい、いくらがんばっても、わかってくれない。

それならば、自分の一部を守ろうとすることくらいは許しておくれ、と黒いライフセーバーに引き止められて牙を剥く、きらきらと白くゆらめく彼に願うのだった。

2023.9.3

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