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さみしさの川

 いつのまにか夏だった。いや、まだ梅雨だしたしかに雨も降ってるし、頭痛にも悩まされているけれど、でも気温や空気はもうすっかり夏のそれだなぁ、とか書いている間に、あっさり梅雨は明けたらしい。あまりにも短い梅雨とのことで、スコールみたいな土砂降りはあっても、総合的な降水量もさほど多くはなかったと思う。ひと足早く訪れた夏に心を躍らせながら、けれど作物とか大丈夫なんだろうか、と一抹の不安がよぎる。

 子どもの頃、雨がすごくいやだった。濡れるし滑るし不自由だし、体が重くなっていつにも増して眠くなるし。おしゃれしてもなんかキマらない、テンション下がる〜とギャル(自称)だったから思っていた。当時から漫画やゲームといったインドアな趣味も楽しんでいたが、しかし外で友だちと走り回って遊ぶこともおんなじくらい好きだったので、公園で遊べなくなるのも退屈だった。意外にも(?)サッカーとかする子どもで、運動は今も変わらずけっこう好きだ。

 そんなふうだったから、梅雨なんか忌々しいくらいに思っていたのだけれど、その印象がガラリと変わった日のことを強烈に覚えている。小学4年生頃に、「今年は降水量が少なくてお米が育たない」という話を小耳に挟んだのだ。そして、雨がなんのために降っているのかを、からだの全部でいっきに知った。つまり、自分が食べているものや、飲んでいる水、お風呂のシャワーだって雨が降らなきゃなくなっちゃうんだ、ということに気づいて恐怖した。それからは、いっぺんに雨が好きになった。むしろ、あんまり晴れの日が続くと心配になった。今でもそうで、だから短すぎる梅雨が明けた今、うれしいよりも不安である。

 それに気づいたのは、"最初の一滴"にふれた経験も大きかったと思う。同じ頃、小学校の合宿で山梨の笠取山に登って、多摩川の最初の一滴がしみ出している「水干」を見たのだ。私の通っていた私立では小4のときに自然と触れ合う機会が多く用意されていて、野鳥観察をしたり、ペットボトルの罠で川魚を取ったり、野草を食べたりした。都会育ちの私にはどれも新鮮だった。なかでも"最初の一滴"の記憶は鮮明で、片側が崖になってる細い道の奥にあるちいさな空洞に、ぽたぽたとしたたる雫のつめたさ艶やかさ、それがあんなに大きな川になっていくという衝撃と尊さは、今も私のなかに流れている、という気がする。

 私はその一滴にさみしさを感じたのだと思う。唐突に聞こえるかもしれないけれど、人しれず静かに水をしたたらせている山の一部の、そのうるおいがあらゆるものを支えているということが、なんとも健気に思えたのだった。山はだれかのためにそうしているわけでなく、ただ淡々とそこにあるだけだったが、だからこそ痛切に、当たり前にさみしかった。そうして私は、自分の持っているさみしさについて考えるとき、それを川だと思うようになった。清らかでつめたくて、頭のてっぺんから指先まで絶え間なく流れている川。流れが止まることはなく、ときに洪水したりしながら、脈々と受け継がれてゆく川。からだの中心をひどく冷やす一方で、いつかだれかを癒すかもしれない、そしてだれとも溶け合わない、ただ淡々とそこにある川。

 そう思うことが、あるいは私自身のさみしさを癒したのかもしれない。私もあの一滴になれる、たった一粒でありながら、けれど大きなもののひとつにもなれる、と思うことが、私の孤独をゆるしたのだろう。ここのところ、昔の話をする機会が多く、いろんなことを思い出す。話しながら、自分の記憶の印象とはまったく違ったふうに語る自分を外から見たりして、不思議な心地になることもある。経験と、記憶と、語りは、まったくばらばらなものである気がする。どれが本物かと考えることすら野暮に思えるし、考えたところで答えはない。けれども、きっとそのすべてからあの一滴はしたたっている。さみしさの川の最初の一滴。その川はもしかすると、歴史そのものなのかもしれない。あるいは時間。私が私になった時の流れとそのわけは、だれとも分かち合うことのできないものだから。それこそが、私のさみしさなのだから。

2024.7.20

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