恒例イベントの日

今日で娘も生後3ヶ月になった。
昨日辺りから娘の喃語は「あ」と「う」と「お」だけでなく、「え」も発するようになってきた。
お喋りな子になることを予感させるほど、たくさん声を発し、そして声を出している時は大抵笑っている。

ちょっと人と違うような生き方をしている僕は、案外(?)先のことを考えるのが好きだ。
時々でいいので先のことを大まかに考えた上で、今この時をしっかりと味わうというのが、自分にとってより豊かに生きる上で意識していることの一つ。

そこで、ある一つの取り組みをしている。
毎月、月齢を重ねるごとに、少し大きくなった娘にビデオメッセージを残そうというアイデアを思いつき、それを1ヶ月目から妻と行っている。
娘は4月11日生まれなので、5月11日には7歳の娘へのメッセージ、6月11日には8歳、そして今日7月11日は9歳の娘へのメッセージを撮る。
こんな風に、二十歳の娘へのメッセージまでは撮ろうと思う。

贈り物というのは、そうやって時を越えているともっと大切になる気がするし、もっと深く響くような気がしている。
メッセージを考えて撮るという作業も楽しいし、今ある想いと将来の娘への想いが繋がってくれるような気もする。(オマケに思春期で親との間にヒビが入ってしまっていても、ビデオメッセージがドラクエで言うホイミくらいの役割は果たしてくれるかもしれない)

先月7歳の娘へのコアメッセージは、「好きなことをやってね」という話だった。
メッセージを送る娘の年齢に合わせて、このコアメッセージを考えておきたいと思い、今noteにタイピングしている。

なんとなく思うのは、良さげな言葉をどこかから拾ってくるようなことはしたくないな、ということ。
僕ら夫婦だから出てくる気持ちや考えを、ただ娘に届けたいと思う。どこかの偉人の話とかよりも、他でもない自分の両親からの言葉だからより胸に響くと思うし、心に残る気がする。


これは誰に対しても根本的に願っていることだけど、自分らしく存分に生きて欲しい。これが一番大切かもしれない。とすると、最後のメッセージとなる二十歳の娘へのメッセージとするか、それとももう少し早い段階でこのメッセージを届けるなら、中学3年生か高校1年生くらいかなあ。進路を意識し始める頃という意味で。

・・・
この後色々書き出してみたけど、娘の目に触れる可能性を考えて敢えて記載しないことにしました。

今日は9歳の娘へのメッセージ。
8年9ヶ月後の僕ら一家はどこで何をしているんだろう。

どんな環境であれ、心と時間にスペースを持ち、家族それぞれが自分に正直に生きていられるようにしたいな。

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