見出し画像

社会人1年目を終えて 雑記

uchibacoya  pieceのjonasanです。なんとか一年生き延びれました。

画像1

「うちばこや」を本格的にスタートしてから、また社会人になってから1年が経過しました。色々とやることも変わってきて、何やってる人かわからないという声もよく聞きますので、自己紹介も兼ねて、時系列を追いながらこれまでのことをまとめたいと思います。

特に誰かに読んでもらうことを想定したものではないですが、適当に読んで感想とかもらえると嬉しいです。

〜4月

画像2

僕は、1998年に鹿児島で生まれました。地元の小中学校を出て、鹿児島高専の都市環境デザイン工学科という学科で、建築学を専攻しました。小学3年生の時からずっとバスケットボールに明け暮れており、いまもスポーツが結構好きです。

幼少期より、3つ上の兄の影響でデジタルのゲームをよく遊んだり見たりしていました。好きなゲームは、psのドラゴンクエストⅦとps2のローグギャラクシー、3DSのモンハン4Gです。遊戯王やデュエルマスターズ、ヴァイスシュバルツなどは学生時代によく遊んでいました。

ボードゲームは高専在学中に始めました。一番初めのゲームは、ドミニオンです。衝撃を受けました。

うちばこやの活動自体は18歳の時に始めました。初めは、特に目的もなく全財産をはたいて買った小さな半導体のレーザーカッターで、プラ製のインサートなどを作って細々と販売していました。当時はillustraterやFusion360などもうまく使えず、今思えばクオリティも低かったです。いろいろな人に支えられて今までなんとかやってこれたな、と思います。

高専は去年の3月、20歳の時に卒業しました。

4月

卒業後は就職・進学のどちらも選ばず、経営や木工のことを学ぶために、鹿児島県指宿市の「馬場木工所」の馬場龍幸さんに、ほぼ無賃で弟子入りしました。

画像5

ただ、毎日決まった時間に出勤する、人の指示通りに物事を行う、などが絶望的に出来ず、また持病が危険な刃物を多く使う木工と相性が悪く、師匠を落胆させることばかりでした。とても辛かったです。それでも毎日木工所には一応顔を出していましたが、あまりにも向いておらず、長くは続かないだろうな、と感じていました。

師匠の人柄は非常に良く、経営のことについて沢山の話をしてくださいました。

この頃、ボードゲームに詳しく、ある程度木工もできるということで株式会社Monoxer様から、ボードゲーム用のテーブルのオーダーを受けました。

画像4

画像3

設計図を引くことと、構造計算だけは得意だったので、いくつか設計図をお出しし、作成させていただきました。簡単な木工は学生時代からずっとやっていましたが、本格的な木工はこれがほぼ初めてでした。師匠に手取り足取り教えていただきながら、なんとか作成して納品しました。

発送の際にかなり高い送料を払うことになったり、ジグソーの定規を締め忘れて幅が均等にならなかったり、いろいろと失敗はありましたが、好きなボードゲームに関係することが仕事になったのでとても嬉しく、楽しかったです。

5月

この頃に、師匠がテーブルソーで指を切りました。木工に対する恐怖心がとても大きくなり、まともに作業ができなくなりました。

レーザーカッター や3Dプリンター、NCフライスなどを学生時代から少しづつ買い集めていたため、この時点で半導体レーザーカッター、FDMの3Dプリンターなどが何台か家にありました。それらを使って、安全に加工ができないかを考え始めました。

師匠が怪我をしたのを機に、木工所へは週2くらいでしか行けなくなってしまいました。その代わり、自分が生きていくための戦略を必死に考えました。経営や広報のこと、技術のこと、心理学、哲学などをできる範囲で独学で勉強しました。

・実働の少ない収入源を多数作ること

・他にない強みを得ること、ブランドを形成すること

という2本柱をメインに据え、今後活動していくことを決めました。

5月は収入はほとんどなかったです。5万くらいかな

6月

考えた戦略の第一歩として、Meeple sourceさんにメールで、代理店契約を結んでくれないか、と連絡しました。うちばこやはほとんど実績がなく、かなり渋られましたが、食い下がって交渉し、なんとか契約していただくことができました。

元手は本当に10万円くらいしかなくて、予約をとって販売して、少しづつ元手を増やしました。

輸入する前には見えなかったコストなど、いろいろなことを知り、戦略に修正を加えながら繰り返しました。この時に、届くまでにどれくらいかかるか、関税はどのようにして計算されるか、などを学びました。

木工所にはほぼいかなかったです。これ以降ほぼ行っていません。月1くらいで行って師匠に話は聞いてました。

レーザーカッター や3Dプリンタを使った商品はぼちぼち売っていました。

この頃に、学生時代から4年くらい同棲していた妻と結婚しました。よくこんな宙ぶらりんと結婚してくれたと思います。大切にします。

7月

鹿児島県の初任給くらいはなんとか稼げるようになったので(もちろん税金や保険料などを抜けば全然ダメですが)、より強くなるために方針を再検討し、戦略を練り直しました。個人事業主の申請をし、フリーランスになりました。

ツイッターのフォロワーさんも順調に増え、Meeple  sourceさんの商品の輸入販売を繰り返していました。

この頃に、BGExpansionさんからフォローされました。すぐにフォローバックしてDMで代理店契約を結びたい旨を連絡し、代理店契約を結びました。

しかし、回せる元手が少なかったため、クラウドファンディングを用いて、少し形の違う予約販売を行うことにしました。

画像6

これが、想定よりうまくいったため、初めて口座の残高が7桁を超えました。この頃は本当に全額仕入れに回していたため、口座残高は0と過去最高額を何度も繰り返していました。気が気ではなかったですが、リソースマネジメントゲームだと思い込むことでなんとか気を保ちました。今考えると、絶対にやりたくありません。ミスがあったら一瞬で終わりでした。

ウラベロシナンテさんとはこの頃Twitterでお知り合いになりました。これ以降ウラロシさんはうちばこやをかなり助けてくれました。

戦略通りに手を広げたのはいいものの、現実では一人でやっていくのが無理になったので、妻を雇用して二人でやっていくことにしました。妻は本当に優秀で、僕の苦手なところと妻の苦手なところが補完しあっているため、非常に楽になりました。

8月〜10月

増えた元手をつかって、Top shelf gamerさんなどとも契約し、ラインナップを増やしました。

この頃に、指宿に住むストリートアーティストの椎名君と出逢いました。グラフィティスプレーやマスキングについていろいろと教えてもらい、塗装に少しだけ詳しくなりました。

画像7

塗料について勉強し、自分でも、駒が生産できるような方法を考えました。自分の労働力を使えば、元手が小さくて済むためです。(実際には人件費が発生しますが、自分の人件費は無視しました)

DLP方式の3Dプリンターとグラフィティ 用のスプレー( flame orange)を使って、コマを作る方法を思いつきました。技術的には、作れない駒がこの時点でほぼなくなりました。正確には木駒ではないですが。

画像8

この頃、かーん様よりcaptain of the Gulf用の海産物駒の依頼をいただき、作成しました。それが、作者のJason dingerさんにRTされ、作者さんから作成を依頼されるという貴重な体験をしました。海外で自分の作品が売れたのは初めてでした。

DLPプリンターを使ったやり方は、原価が高く、手間がかかり、時間のかかるものでした。必然的に値段も高くなりましたが、応援してくださる方が買ってくださり、次の機械を買ったり、もっと効率のいい作り方を考えること時間ができました。

誰か他のショップとの被りを避けるため、あらかた、大手のアップグレード用の駒会社と代理店契約しました。

folded spaceさんや、Meeple realityさんなどのインサート会社とも契約しました。

初めて、大きいものを大量に輸入しました。今まで見えなかった費用がさらに見えてきて、輸入業の大変さを今一度確認しました。仕入れた300個を全部売ってちょっと赤字、みたいな大失敗もしました。

多数の収入源の一つとして、forsage  gamesさんに連絡してタンクチェスの日本語版を出しました。

11月〜12月

たまった資金を元手に、粉末塗料と呼ばれる塗料をつける機械を設計・制作しました。粉末塗料は、吹き付けて加熱すると強い塗膜を形成するもので、ドイツ製の木駒などによく用いられている塗料です。

これとレーザーカッターを組み合わせると、焦げ部分が厚い塗膜で隠せるため、平面的な形の駒が作成できます。まだ効率の問題は残りますが、この時点で平面的な木駒が作成できるようになりました。

画像18

ずーっと考えていたら、効率を上げる方法を思いつき、実際にやってみた所うまくいきました。ある程度の速さで、手間もかからない方法を確立しました。

画像19

この頃、Rootを遊び、駒表面への印刷に興味を持って取り組み始めました。

すぐに方法は思いつきましたが、これもまた効率が悪く、頭を悩ませることになりました。

画像9

結局、シルクスクリーンという手法を使うことで、ある程度の効率で作成できるようになりました。

多色印刷やさらなる効率化、と課題は残りますが、バイトのスタッフなどを数名迎え、実際に販売に向けて量産に入りました。

この駒のプロモーションのため、派手に宣伝をする方法を考えていました。

面白いゲームに封入されていたら、これを多くの人が目にするのではないか、と考え、面白いゲームを探していました。自社から、リメイクという形で駒入りで販売しようと思いました。

そのタイミングで、takewatchくんが「Amalfi」をTwitter上で発表したため、即座にDMしてルールを読ませていただき、しばらく話し合ってからテストキットを送っていただき、最終的には一緒にやっていただけることになりました。

画像10

コラム takewatchくんとの作業

やっていく中で色々と形が変わり、最終的にはパブリッシャー、という形でアマルフィプロジェクトには参加しました。テストプレイを数百回繰り返しました。

takewatchくんとは、好きなゲームの傾向が近く、レスポンスが早く、それぞれの苦手分野を補完しあっている、という感じで、めちゃめちゃ相性がいいな、と感じています。何より、話が通じる、というかコミュニケーションのコストが高くないのが楽です。

今後も彼のゲームはうちから出していくことになると思います。

コラム ふるりん本舗のオープン

ふるりん本舗さんがオープンしたのはこの頃。やることが増えすぎて、インサート事業と輸入ゲーム事業を丸々委託できる人をTwitter上で募集しました。何名かから応募がありましたが、最終的には現在のふるりん本舗のオーナーに決定しました。

僕の中では結構革新的な出来事で、初めて業界内に心から信用できる人ができたな、という感じでした。経営のことで相談したり、苦手なところを補完してもらったり、と出来ることが大幅に増えました。社会人の大先輩なので、助けてもらっている感が強いですが、今後も協力して展開していく予定です。

1月〜3月

ゲームの出版がかなり楽しかったのと、今までやってきた駒制作が生かせるので、いろいろとゲーム出版のための手回しをしつつ、駒の販売などをしながら過ごしました。輸入駒の販売は、手が回らなくなってきたため、インサート事業同様に、ボードゲームカフェnostalgia長泉店さんに事業ごと委託しました。

UVプリンターという、紙以外にも印刷できるプリンターを導入しました。

別府さいさんと、Amalfiの出版を通じて知り合いになれたのが大きく、彼女が描いてくれた素晴らしい駒のイラストを、シルクスクリーンやUVプリントを使って駒に印刷し、販売することができるようになりました。

画像11

新しい機械の導入などによって、今まで人力で作業していた部分をほぼ自動化しました。月数万個の生産に耐えうる環境が完成し、効率も大きく上がりました。さらに、100個程度の小ロットでも利益が出るように生産方法を考え、方法を確立しました。

画像14

最初に戦略の中心として掲げたブランドの特色として、駒事業をメインに据えていく、そしてそれをわかりやすくするため、ショップの名前をuchibacoya  pieceに変更しました。

コラム nostalgia長泉店さん

ふるりん本舗と同様に、Twitterで募集し、数件応募があった中から選ばせていただきました。

ふるりん本舗さんとの関係ほどはまだ深くありませんが、やりとりを通して、信頼できると感じています。

また、シタデルペイントなど僕にはない知識を多く持っており、僕が販売するより、よりお客さんがハッピーになれるのではないかと期待しています。

コラム 別府さいさんとの協力

さいさんの協力なくして、今のうちばこやはありません。天才だと思います。断言しますが、毎回、100%こちらの期待を上回ってくれます。

画像12

ボードゲームへの造詣が深く、人格者で、旦那さんはくまです。とりっくまさんもとても良い人で、ほんまに頭が上がりません。

コラム ウラロシさん

ある日Twitterで偶然見かけて、この人の絵は多くの人を幸せにする、と感じすぐにDMしました。

その際に、オーダーしてテラフォーミングマーズのイラストを描いていただきました。

画像13

神か?

Amalfiの箱絵や、arcticの箱絵、Amalfiの挿絵などもすべて担当してくださっています。

画像15

コミュニケーションが円滑で、イメージの伝達がしやすく、理解力が高く、仕事が早いので、イラストレーターさんを探している方は彼女をオススメします。

画像16

今後も、全てウラベさんのイラストでいくつもりです。アマルフィの担当を発表した時、ウラベさんに誹謗中傷DM送った人、僕はいつまででも覚えてるからな。

総評

社会人一年目、なんとか生き抜けました。スリリングな日々をビビりながらも楽しめました。結婚した以上、もう少し安定したい、というのが本音です。機械とか買うために、結構借金もしちゃったしね。借金は強アクションやし、、。

最初に立てた戦略通りにはいかないもので、現実は非常に難しいものでした。今生きているのは、運が良かった、と言わざるを得ません。この1年間、アホほどいっぱい挑戦して、アホほどいっぱい失敗しました。

ただ、お陰さまで少しだけ資金的な体力もついてきて、少しづつ大きな投資に回せるようになってきました。よりクオリティが高いものを、より安く提供できるようになることで、お客さんに恩返しをします。

また、人に恵まれたなと書いていて思いました。

ウラベさん、別府さん、takewatchくん、ふるりん本舗さん、戸塚中央くん、KDさん、山田空太さん、上杉カレーさん、shimonsoさん、ぷがさん、いぬった、くーふーなど、多くの人に手助けされてここまでなんとか生き抜けたかな、という感じです。ほんまに、運が良かった!!大変なことも多いですけど、いまの仕事ができて、僕はとても幸せです。

また、いつも商品を買ってくださる方、本当にありがとうございます。おかげ様で、妻が美味しそうにご飯を食べている姿を見ることができます。

今後も、「買って嬉しくなるもの」「買った人が幸せになるもの」を全力で作っていきますので、応援よろしくお願いいたします。今年もアクティブに動き続けます!

画像17

うちばこや代表 田中潤平

追悼

今年に入って、経営の師匠の馬場さんが急逝しました。言葉が出ませんでした。多くのことを学ばせていただきました。

あなたがいなければ、私は今幸せになれていなかったと思います。あれだけ多くの人が参加するお葬式は初めて見ました。あんな風に、多くの人に好かれる人になれるよう最善を尽くします。どうか、天国でも楽しそうにしていることを願っています。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?