退嬰的な世界であなたが手にするもの

後悔はしていない。後退はしている。てっぺんが光り輝く蛸の上、それは街の中央に位置する寂れた公園の遊具として大きく鎮座し動くことのない蛸なのだが、私はそのすべすべとした表面の上に座って、入道雲を浮かべた空を眺める。雲は人間の想像できないほど高いところまで浮き上がって、そのまま絶対的な存在になってしまいそうだった。眺めたところで、何がどうという訳でもないのだが、ずっと眺めていると雲の形が網膜に焼き付いて、視界がそのまま雲の形にトリミングされて、他の事物は後景に退き、ブラックアウトする。そして雲はひとりでに形を崩し、もはや機械的に私の視界をはみ出る。次の瞬間には意表をつかれるほど小さくなって、私の視界全体もしぼむ。しぼんだ視界は、しぼんだ視界は、弾ける。

蛸は焼かれている。背もたれのない木製の椅子同士が肩を寄せ合いひしめく居酒屋で、人々は椅子と同じように肩を寄せ合いながら、他の世界などないみたいにして、肩を預けている人など存在しないみたいにして、顔を赤らめながら自分たちのグループの会話に没頭している。私は、隣のおっさんに思い切り肩を預けられ、そのおっさんがまた厄介なことに酒が回ってきた頃と見え、声のボリュームのツマミがバカになってしまい、周囲の雑音の大きさも相まって、ほぼ私の耳元で叫ぶみたいにして、私の右斜め前のこれまたおっさんと何やら楽しげに喋くっていた。実に退嬰的である。
目の前には熱く焼かれた鉄板。だるい表情をしたお好み焼きの素の上に、蛸が載っけられている。蛸は一口大に切り分けられ、半透明だったその肉体は焼かれることで、ちょうど隣のおっさんの顔みたいな赤色をしていた。

赤い色っていいよね、とあなたは言った。赤い色っていいよね、と私は別に思っていなかったけど、うん、と言った。せめてもの抵抗として、白い色っていいよね、と言って、私は紅白の対決でタイに持ち込もうとした。あなたは、白は別にいいと思わない、ピンクならまだいい、とまっすぐ前を見て言った。迷いのない眼差しだった。私は反応しかねて、ふぅん、と言った。ほとんど泣いていた。

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