そうこうしていると、夜になった。

文化的な生活に浸っていた。
文化的な生活を送ると、社会的な生活が覚束なくなってくる。
逆に社会的生活に活路を見出すと、世界に色が無くなってくる。
絶妙なアンバランスの中を、右往左往しながら彷徨う。

朝になり、昼になり、夜になった。
社会の一日は真っ当に、早々と過ぎて行った。

仕事がなくなると、一日はいやに早く、冗長に間延びして行った。
夜が長くなった。
文化的生活は夜と相性がいい。
暗闇で膝を抱えて、破滅的発想に浸る。もしくは極楽閻魔ワンダーランドへ行く。

ページが擦り減っていた。
左脳に痛みを覚えつつあった。

トイレのドアの手前に座り込んで、膝を抱え、スマホの画面に何やら文字を打ち込んでいく。
深夜の二時や三時やらにぶどう味のジュースを飲む。

自分の世界が築き上げられていく。
社会の中に立ちすくんでいることによって、ようやく背骨が一本だけ、やっと通っている。
社会にいなければ、背骨のない常にへたり込んだような状態で、文化すらもない不毛地帯になり変わってしまうこの小さな部屋。

社会が文化を支え、文化が社会を支える。
今日も革靴を履き、革靴を脱いだ。
ネクタイを締め、ネクタイを外した。
それだけで、脱力。

私には文化に浸る気力すらなく、移り変わる画面に視線を躍らせ、にやつくのみ。

夜。
今日も番組を観るのが楽しみだ、ゲームをするのが楽しみだ、ああ、楽しみだ。
毎日毎日、一歩も前に進まず、ずっとここにいる。この状態でいる。

夜が更ける。
老ける。

進まないからこそ、生まれるものもあるのだ、ということを知る。消極的だからこそ見えるものもあると知る。ただ、進んでいるからこそ見えるものとやらを知らないのだが。

また明日が来る。
夜が明ける。

アラームをかけずに寝る。

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