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あの黒い虫をわたしは殺した

今の住まいに暮らし始めて3年ほどの月日が流れました。
気に入って住んだ部屋、快適な3年を送ってきたと思います。
そんなお気に入りの空間で息を呑む出来事が起こったのは昨夜のことでした。
仕事を終えて帰宅し、台所で枝豆を茹でようとしたわたしの視界の隅を横切る黒い影。
ゴキブリでした。
蠢くその姿、体長は4cmほどでしょうか。
共用部ではたまに遭遇していたものの、部屋の中ではついぞ見ていなかったため完全に油断していたのです。
このわたくしとした事が。

万一に備えて置いてはあったものの、3年前からただの一度も使っていなかったゴキジェットプロを手に取り、ノズルを嵌め込みます。
声の一つも上げることなく、標的に向け噴射。
敵も必死です、そりゃそうだろう命の危機ですから。
しかし必死なのはこちらも同じ、これは対等な勝負なのです。
逃げ惑う標的に、それでもわたしは無情なまでに噴射し続けます。
無駄な殺生と分かりつつも、なぜスプレーを握る手を緩めないのか。
それは蝉とゴキブリだけは苦手なわたしには標的と共に暮らすことは到底出来ないためです。
やがて、標的は絶命しました。
冷静に対応したかに思えましたが、気づけばノズルがうまく嵌まっていなかったスプレーから右手人差し指へ殺虫成分を含む液体がもろにかかっており、そこには火傷した後のようなヒリヒリした感覚がありました。
痛い。

部屋の中で見失うという最悪の事態は免れたものの、標的を倒してしまったからには今度はそれを片付ける必要が生じます。
以前の住まいは一階であったためか複数回それに遭遇しており、その度に猛烈な勢いで調べまくったわたしの脳内にはそれに関する嘘か真かも分からぬような玉石混合の様々な情報が氾濫していました。
曰くそのままにしておくと仲間を引き寄せるらしい。
或は絶命したと思わせてゾンビの如く蘇る。
とにかく、放置しておいて良いことなどただのひとつもないのです。
しかし触れるのは我慢なりません。
箒の先で標的を感じることすら、わたしには難易度が高すぎるのです。
しばしの間、腑抜けた状態で天井を仰ぐしかありませんでした。
やや本気で隣に住むおじさん(お喋り、癖は強いが良い人)に助けを求めようかとも考えました。
しかしわたしは独立した成人です。
わたしがこの手で殺した相手、自分で片を付けずにどうするというのだ。
覚悟を決め、塵取り片手に現場へ戻ります。

嗚呼、駄目だ…。
そこで方針を変更、塵取りを所定の位置に戻しベツレヘムで購入した食器が包まれていたヨレヨレの新聞紙を広げ、標的を包んでしまえ大作戦に移行します。
生きているときに比べて、1cmくらい小さく見えるな。
なんてことをうっすら考えながら、気づけばスピッツの『コスモス』を口ずさむ声が流れ出ていました。
その時は(自分を鼓舞するには、少々弱い…)と思いましたが、後から考えてみればぴったりだったのかもしれません。
「鮮やかなさよなら 永遠のさよなら」で始まる歌なのですから。
そしてわたしはついに、アラビア語の新聞紙に包み込んだそれをビニール袋に入れこの上なくキツく縛るというミッションを遂行したのです。

なんとか、なんとか克服できないものかと何度も思ったのです。
写真を凝視してみたこともありました。
なぜ、何に対して嫌悪を感じてしまうのかを突き詰めようとしたこともありました。
しかし克服することは叶わないし、原因も分からないままなのです。
蝉とゴキブリ以外の昆虫に対しては別に何も思うことはないのに。
もしもまた自分のテリトリー内で遭遇する事があれば、必ずやわたしはまた同じことをするのでしょう。

おちるよ、地獄に

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