[KZ の相談箱 お1つ目] 大好きだった人が遠くに行ってしまい心にポッカリ穴が空いた
ご相談ありがとうございます。
喪失は、人生の中でも最も辛いことの1つだと思います。
ただ、人生の数奇で意地悪なとこは、どれだけ注意深く生きていても、喪失が何度も訪れることです。
人が悲しみを乗り越えるというテーマで、俺が好きな仏陀の話があります。
仏陀の弟子に、ある女性がいました。ある日、女性は大切にしていた子供を亡くします。
それを女性は受け入れることができず、「生き返らせてくれ」と仏陀に懇願します。
仏陀は女性に、「芥子の実を用意してください」と伝えます。
ただ、「今まで死者が出たことのない家から貰う必要がある」と付け加えます。
女性は、多くの家の門戸を叩き、「あなたの家は死者が出ていないか」と聞いて回ります。
当たり前ですが、1軒たりとも死者が出ていない家はなく、みな誰かを失ってました。
そして、女性は喪失が特別なことではなく、世界にありふれた一事象でしかないと知ります。
この話をすると、「喪失は当たり前のことだ。悲しむな」と言ってるのか思われそうですが、そこより大切なのは、多くの人と「喪失について」話したことだと、俺は思います。
女性は家から家に渡り歩く中で、すでに悲しみを乗り越えた人を見ただろうし、去った人の思い出話を披露しあったり、今まさに自分と同じ境遇にいる人もいたのではと思います。
この何度も「喪失」について触れることで、女性は「喪失」という事象を理解したのだと思うんです。
なぜ悲しいのか、結局は、その深い部分には「なくならない」という思い込みや、「なくなってほしくない」という執着があって、それが目の前の現実と乖離しているから悲しくなるんですよね。
俺は車で日本一周をしたり、徒歩で日本縦断をしたんですが、旅で出会うとみんな優しいんです。
中には普段から、優しい人もいらっしゃるとは思うんですが、それにしても優しい人が多い。
それはなぜかって思うと、「もう会えない」ってわかっているからなんですよね。
人はどれだけ、惹かれあっても、いつか離別するんですよね。こればっかりは、もうどうしようもない。
なので、一緒にいるときにできる限り大切にするしかなく。
別れた後は、その思い出を胸に、また日々を過ごすしかない。
まぁ、ずっといると、その事実をよく忘れてしまうんですが。
例えば、提案なんですが、話すことが好きだったら、周りにいる人をカフェにでも誘って、「人生で1番辛かった別れについて教えてほしい」と聞いてるみるのもいいかもしれません。
別に「人」が相手じゃなくてもいいと思います。ノートでも、携帯のメモ帳でもいいし。
そこに感じたこと、過去の思い出、好きだった部分、その人が今の自分を見たらなんと言うか、自分がどんな風に過ごせば、その人が喜ぶか。
俺は悩みや弱い部分を人と話すのが苦手なので、もっぱら作詞することが話し相手です。
好きだった分、その感情を燃料にペンを走らせましょう。大切なのは、言葉にしていくことだと思います。
「喪失」を前に、なんどもそれを観察し言葉にすることで、それが心に染み込み、消化されていきます。
と、ここまで書きながら、相談文を再度読み返したのですが、ちゃんと言語化をされている、
または今まさに、その道すがらにいらっしゃるのではと思いました。
「心にポッカリ穴が空いたような気持ち」とご自身の状況を理解されているし、「大好きだった人が遠くに行ってしまい」と、なぜそれが起きたかも把握されている。
さらには、「大好きだった人がいなくても楽しく生きれるでしょうか」ということは、紐解いてみると「誰かがいなくても自分自身だけの存在で楽しく生きていきたい」と言うことで、ご自身がどう生きたいかという指針も持っている。
その上でまず、大切なことは少しだけ「楽しく生きなきゃ」って言う気持ちを緩めることでないでしょうか。
そりゃ、好きな人がいなくなったので、悲しいのが当たり前。今は悲しむことを許してあげる時期な気がします。
自分に空いた穴を見つめながら、それの大きさや深さを観察してみる。
悲しみですら、大好きな人と出会ったから生まれた感情で、それを愛でてあげるべきだと思います。
ここで大切なのは必要以上に、自分に求めないこと。
素直にあるというか。別に無理に悲しむこともないし、無理に元気を出すこともなく。
ありのままを受けれいる。そして、それが出来なくても責めない。
例えば、骨折をしたら、そこがつながるまで動かさないのと同じで、
心が折れたなら、それがつながるまで心は安静にしておく、そんなイメージです。
あとは、心がダメな時は体が喜ぶことをするのが良いです。
散歩、太陽を浴びる、長めの入浴、自分が好きな食事をする、よく寝る。
モチベーションがなくても、良き行動をすると身体は喜ぶんですよね。
例えば、落ち込んでいる日も太陽は暖かいし、散歩をすれば身体は発汗するし、お風呂に入るとさっぱりするし、お腹はいっぱいになる。
でも、悲しいと思考がぐるぐるして、寝れないことは多いか。
とりあえずは、全部できなくても良いけど、極力身体を労わる日々を送ってみる。
ここで重要なのは、悲しいときほど丁寧に生活をすると言うことだと思います。
その丁寧な日々で、もし楽しいと思えるものに出会えたら、その時はそれを玩味しましょう。
これは、もっと悲しい話かもしれませんが、人は本人が望まなければ忘却していくんですよね。
どんな出来事も、感情は薄れていくし、思い出せなくなっていく。
たまに何十年もずっと1つの事にこだわってる人っているけど、あれ、本人が好き好んで、こだわってるんです。
本人が、そう望むから、忘却できないんです。
ただ、全て忘れるのは、もっと悲しい。
いなくなったその方から、いただいた良き思い出だけ、胸に生きてきましょう。
そうこうしてたら、そのぽっかり空いた穴が埋まる何かに出会うと思います。
それは人かもしれないし、もしかしたら趣味かもしれないし、仕事かもしれません。
ただ、丁寧に生きていたら、必ず出会います。
最後に、大好きな気持ちは持っていてもいいと思います。
よく未来がどうにもならないなら、諦めるべきだみたいな風潮がありますが、別にその人ともう会えなくても、どうにもならなくても、好きでいることは個人の自由で、それを世間の風潮に沿わせることはないと思います。
俺はたまに、会えなくなった仲間たちに、この曲聞かせたらどう思うだろうとか考えて、思いを馳せることがあります。
もう会えなくても、その人が自分のうちにいることで、人生に良き瞬間があるなら、それはその人と出会った証で、素晴らしいことだと思います。
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