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駆け出し作家の独り言


私は話すのが大の苦手だ。
話せば話すほど、言うんじゃなかったと後悔する。
言葉を尽くしても、尽くしても、そういうことを言いたかったんじゃない、とか。あぁ、上手くいかないから、やっぱり心で思うだけにしとけばよかったのだ。とか思う。

自分に近い人ほど、気になる。
好きな人ほど、気になる。
自分が言葉足りずなことを言ったが為に不用意に傷つけてはいないだろうか。
その人の良さを失わすようなことを言ってはいないだろうか。
失礼になっていないだろうか。
そんな恐れを抱くなら、黙って話を聞いているほうがよっぽどいい。聞くのは楽しい、相手のことがみえてくるから。
ほら、やっぱり私が話す必要なんてない。
親と話していても、失望されてはいないかと不安になる。まして他人なんてなおさら。
今日だって後悔したし、昨日もそうだ。
話してよかった。より、話すべきでなかった。と思うことのほうが多い。
以前「台詞がないと話せないの?」と言われたことがあった。言い返せばいいのに、確かに台詞があったならどれだけ楽だろうと思ってしまった。
届かないどころか、狙いと別方向に飛んでいく、私の話すという行為。
たった一言、その一言を口にするために、どれほど時間がかかるのか。たくさんの人の時間をもらい、それに見合う言葉を紡げただろうか。
そしてはじまる心のなかの反省会。
何時間経っても終わらない。反省してもしても減りもせず、刻々と増えていく。
後悔するなら、心のなかで自分と話していればいい。
そうして独り言が増え、誰かと話すことが少なくなった。
だんだん身体の中に、言葉が渦巻くようになった。みない、きこえない振りをして。行く先のない言葉に苦しくなっていた。

そんな、しゃべり下手の私でも、文章を書くのは好きで。
小学生の頃に、森の葉っぱから覗く太陽の光が万華鏡みたいで、それを詩っぽく書いたのを覚えている。頭であれこれ言葉の並べ方を考えて、ノートに書きなぐったのを覚えている。母にみせたのを覚えている。ここが私のスタートだ。これが救いなるとは思わなかった。
みせたとき、きっと母はそれを否定しなかったのだろう。
だから、そこから何十年も経った未来で、私は人に読んでもらうべく文章を書き。人に演じてもらうために、言葉を選んでいる。

はじめての上演作品、たくさんの願いを祈りを込めている。文脈に、流れに、結末に。
遠くへ行くための、行けるための手伝いができますように。
新しい風が吹きますように。と
正直、はっきり伝わらなくてもいい。舞台上に、具現化すればきっと何かの想いは伝わると信じているから。
行く先を得た言葉は、自由で力強い。

大事に大事に育ててもらってきた、「少女の序奏」
皆さんの目に、心にふれて、はじめて完成する。その瞬間まで、まだまだよくしていける。
最後の一瞬まで、諦めず。

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