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持っているCDを聞き返す#3 ギターデュオ

ギターデュオ/大友良英+山本精一

2008年作

今日は初めて大友さんを生で見た。(大友さんがメインではないけれど)
そこで、音はもちろん大友さんのその存在や肉体にひどく心を打たれてしまった。この気持ちはもはや心酔に近いと思う。
もっとこの人の音を聞きたい、もっと激動の音が聞きたいという気持ちがふつふつと湧き上がったので、唯一大友さん関連で持っているこのCDを聞いてみることにした。


仄暗く、静かに でも確かに始まる
人の言葉だけど、青い炎のようで、崇高で

ギターの音ってこんなにも、こんなにもよかったか
ギターノイズって今までなんとなく好きじゃなくて。
でも最近生でギターノイズを聞く機会が何度かあって、それでやっと目が開いたんですけど やっぱりかっこいいですね

CDや音源の悪いところはやはり作り手と聞き手の肉体が隔絶されるところだと考えている。これを生で見たら・聞いたらもっと違うのだろうと思う。
でも、あまりにも無機的に音が響いているのを聞くのが今は心地いいので結果としてはよかった

無機的だけど、激動の音でとても沁みる 音が質量を持っている感じがする 本当に音を聞くのって気持ちがいい
ただ単純に音を捉えることが許される空間っていいよね いいし、そんなものを与えてもらえるのがすごく嬉しい
聞いていて、宝物のようにつややかできらめいていているものを心の内に残してくれるアルバムです

アコースティックギター
ただただ美しい お二人が弾いているその空間の広さを感じさせる
加えて、ギターのペグのところの弦とかって爪弾くとオルゴールみたいな音がするじゃないですか、あの音がものすごく好きだから単純に好きな音が聞けるの嬉しい
一曲目とは変わって、これはかなり有機物的
肉体や息づかいを感じる
音と音の無意識の連関が美しい ただひたすらに美しい

意識が延長していくような感覚を与えられている
少しずつ自分が意識だけになっていって、肉体が切り離されていくような
こういうアプローチもあるのか 音って面白い
音が浸水するかのように身体に入りこんでくる
このアルバムを買っておいてよかった こんなにいい体験ができるとは 

音の在り方として、
ただそこに音が存在していて、我々はそれに勝手に共鳴するのを許されていて しかし一定の畏怖は必要なのかもしれない
音の純粋な気持ちよさ以上に、音というものの存在を考えさせられるアルバムですね 特に三曲目は。
音に対して、美しいという気持ちがもちろんあるのだけれど、美しいという語は不充分な気がしている なにかもっと敬虔な気持ちをもって音に接しなければならないのではないか

そういえばギターの音なのか。ギター二本でどうしてここまで一つの空間を生み出せるんだろう?
ああ終わってしまった… 永遠に続いてもよかったのに…

どうしてここまで周りの音を拾っていて、入れ込もうと思ったんだろう?拾っている音も何の音か見当がつかない ここまでざわざわしているのは何の音で?
ああ、二人の意識がおそらくほとんど同じ位相にいることが美しい そして音が意識の役割をしている
エレキギターでもアコースティックでもやりたいことはきっと一緒で、ただ形式や算出が違うだけなのだと気がついた。

すごくこのアルバムは心的なものを感じさせますね。感じとっていいものか、きっとそんなところは意図していないような気がしますが。私にとっては心の質を均してくれるとても素晴らしいアルバムです。
上に書いた通り、音が心につややかできらめいたものを与えてくれて本当によかった。激動であったり、少し暴力的なものを期待して聞いてみたけど、全然そんなことはなくて、むしろ心にすっと染み込むような感じでした。
音に対して特に気持ちを寄せられて(それは音が良いだとかそれよりもっと向こう側に)、そんな経験を今までしたことがなかったから、特別なアルバムになりました。気に入ったし、すごく愛着が湧いた。また聞こう。

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