EBiDAN ~それぞれの人生ドラマ~

こんにちは。
大分前に、こんな記事を書きましたが、今回はその後、気になる道をたどっていたり、当時ドラマチックな展開を経験したメンバーをクローズアップしていこうと思います。

※この記事自体、しばらく前に書いてはいたのですが、書いた時と比べてEBiDANを取り巻く環境の変化やら、あとは下に出てくるとあるメンバーも大きな岐路を迎えるみたいなので、途中ですがアップしますね。

※今回は、EBiDANを抜けたメンバーも、退所した人もバンバン名前を出すので気になる方は読まない方がいいです。

まずは成功例(?)のメンバーからいきます。

1.志村玲於


今はご存知SUPER★DRAGONのメンバーです。
彼の特徴はなんといってもオーディションメンバーなところだと思います。EBiDANはスカウトされたメンバーが多いです。特にスパドラはそれが顕著で、彼以外は8人みんなスカウトだそうです。
そんな中彼はストリートライブをしていた頃のEBiDANに憧れてオーディションを受けています。
なんていうか、スカウトメンバーと違って容姿はあまりそこまでのものは持っていないんですね。もちろん美男子集団にいるので普通の一般人とは比較しません。当時の研究生の中だと、元M!LKの瑞生やスパドラの毅などのように圧倒的なイケメンではないし、ジャンやデニスのようにハーフで目を惹く面々もいましたが、彼は容姿に関してはそれほどでもないし、中学生~高1くらいまでの彼は肌荒れが酷くて一時期の平野紫耀みたいだったし、背も低い方。
ダンスもうまいし、研究生のお兄さん的存在で慕われていたけど、オーディションではあと一歩なところが多くいまいち芽が出ない感じでした。
さくらしめじ、M!LK、マジボの構想に入れず、気づけば研究生で単独最年長。かなりの危機感だったんじゃないかと思いますが、それでも地道に続け、和とROCKプロジェクトで意地を見せ、スパドラのメンバー入り。
年少メンバーも成長期を終えた今では、最年長ながら一番背が低く、いじられ愛されのお母さん的存在に。ダンスでは圧倒的な重量感でイチ抜けているなあって感じです。

2.塩崎太智、吉田仁人


共にM!LKのメンバーとして活躍している彼らですが、なんといっても研究生時代、太智は和歌山から、仁人は鹿児島から毎週レッスンに通い続けていたのがすごい。
当時からスターダストは大きい事務所でしたが、EBiDANはまだ今ほどメジャーな存在でもなかったです。そこに小中学生の息子を毎週通わせるご家族の気概と覚悟、その期待に応える本人たちの体力と根性。普通にできることじゃないでしょう。
しかも太智は中学受験をしたりミュージカルスクールに通ったりしているし、仁人は地元でもガッツリダンスをやっていて気合の入った発表会に出ていることがうかがえるし、どんだけ忙しい小中学生だったことでしょう。
研究生当時の彼らのパフォーマンスを見ると、やはり地方から通っているから負けられない感が、首都圏メンバーとは違う何かを感じさせます。「平日レッスンに出られないから今回モノにしないと」(仁人※ニュアンス)とか、選抜に漏れてバックダンサーになった時に「地元に帰ったとき東京に通わせてもらっている親の顔を見られなかった」(太智※ニュアンス)とか、やっぱ「絶対に負けられない」感があります。
選抜されたり、漏れたりしてきた彼らですが、Clash,からM!LKへと至ったグループに選抜され、仁人はダンス中心のメンバーから歌もめきめき伸ばし、現行M!LKではリードボーカルといって間違いない存在になったし、太智もガキっぽさのある少年感はそのままに客席煽りやダンスでグループの核になっているし、何より今のM!LKで構想段階からの原メンバーは既にこの2人しか残っていません。

3.古川毅、山﨑悠稀
なんでここを括るのか、となるかもしれませんが、かなり共通点が多い二人です。悠稀がもうスタダじゃないのは目を瞑ってください。
まず、一緒に活動することになるメンバーの中ではEBiDAN加入がかなり遅いこと、そして、歌でかなり推されて選抜入りしたこと、そして今に至るグループが彼らを中心に結成されたことです。
悠稀はLike a starのグループオーディションでメンバーからのメインボーカル指名を受け、グループは選抜されなかったものの、彼一人ボーカルとして合格グループに入れられ、一人マイクを持って歌っていましたし、その後のオーディションで自ら課題曲の歌詞を変えたりと、歌に対する貪欲さが見えます。さらに、現在のM!LKに至るグループClash,は元々オーディションで勝ち取った他のメンバー(後述)が作ったグループでしたが、その解散や次なるグループに関してはかなり彼を中心に構想が作られたのではないかと伺えます。
毅は、スパドラの中では年齢で2番目なのに、2番目に後輩です。研究生時代から歌をかなり運営に鍛錬され、ドクロプロジェクトはメインボーカルだったし、研究生ながらソロコンサートを開催するなど、歌で相当期待をされていたことがわかります。事務所はソロデビューを目論んだそうですが、本人がグループを望んだことによりスパドラが結成され、その結成発表も彼を中心にされています。

(ここから下は2024年7月に書いています)
因みに、筆者の今の推しは、スパドラの壮吾、ICExの龍人です。

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