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かなしみのしあわせ割り

ちょっと疲れた。
嘘、めちゃくちゃ疲れた。

確実に大変なことが起こっているはずなのに驚くほど危機感のない人々。
無責任な自粛要請にいい加減怒りはじめた世間。
虚構新聞かと思わずにはいられない見当はずれな政府の対応。
根拠のない自信のおかげで自粛せず遊んでいる人々。
終わりが見えないことや何が起こるかわからないというすべてへの不安。
そしてすべての事象に影響を受け続ける自分自身。

もう全部疲れてしまった。

ただでさえ花粉のせいでぼやける頭が、
毎日ニュースで聞こえてくる「外出自粛しない若者」「無症状感染者による感染拡大」といった大きい主語に属するせいで受け続けるダメージと、
自分が今まさにウイルスをまき散らしているのではないかという疑心、
本当は今すぐにでも引きこもりたいのに引きこもれない現実、
感染して重症化しないとも限らないということ、
身近な誰かが感染してそのまま亡くなってしまえばもう二度と会えないということ、
大切だからこそ会いたい人に会えないということ、
あらゆることによってさらにぼやけて、何もかもがよくわからなくなってきた。

外出したくなくても仕事はあるし、休めば自己都合なのでもちろん収入が減る。
しばらく休んでも大丈夫な貯金があるわけでもなく、リスクと責任と焦りばかりが高く積まれていく。

環境汚染にいよいよ我慢できなくなった地球が、本気で人類の数を減らしにかかってきているのかな、とかぼんやり考えたりして。

どこにやればいいのかわからないあらゆる感情が、行き場をなくしてどこにも行けずにどんどん凶暴化していくのが怖い。
自分をコントロールできなくなってしまいそうなこの感覚が怖い。

今は多分、なるべく「なんでもない日常」を過ごす努力をして、その中で「ちょっとした幸せ」を見つける必要があるのだと思う。
ある映画ですごく印象に残った言葉を流用するけれど、「幸せを感じる感度を高める」練習をする時なのかもしれない。

普段からこの感度が低い人は、きっと今毎日を生き延びるのに必死なんじゃないだろうか。
毎日、いつ崩れてしまうかわからないような感覚を抱えて、それでもなんとかやり過ごすしかなくて。

可愛い雲が空に浮かんでいた。
道端に小さい花がこっそり咲いていた。
突然風が吹いて桜吹雪の中を歩けた。
飛行機雲がたくさん見れた。
お気に入りのパンが買えた。
苦手だった仕事が前よりうまくこなせた。
空の暮れ方が綺麗だった。
車窓から見えた桜並木が綺麗だった。
いつもよりゆっくりお湯に浸かれた。
綺麗に洗ったぬいぐるみからいい匂いがした。

なんでもないはずの日常から、
少しずつ幸せを見つけて抱え込んで、
かなしい気持ちが少しだけでも薄まるといい。

そうしていつか、何にも気にせず大切な人たちに会える日が戻ったら、
お互いが抱えたかなしさと幸せとを一緒に抱きかかえて、たくさんのかなしさをもっと沢山の小さな幸せで薄められるといい。

そうしてかなしみのしあわせ割りを作っちゃおう。
苦手なかなしみも、きっとしあわせで割っちゃえば美味しく飲み込めるはずだから。

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