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だか僕13.

「どうしましょう……」
呟いてみたけれど、相棒は物言わぬ蝶。からかうように私の周りを飛び回る。
既に時は金曜日。最新の会合から二日経つ。この間にオトハ君とステラさんからそれぞれメールを受け取った。先日の会合でどうやら、河川敷さんに対し圧をかけているような話し方をしていたらしく、二人から苦言を呈されたのだ。オトハ君に至っては、"春告花の分断を図っているのでは?"とまで疑われる始末。慌てて「今度河川敷さんに謝る」「分断も望んでいない」とは返したものの、河川敷さんには何て言えばいいのだろう。それに、望まずとも分断が起きる可能性だってあるのに。というか、今まさにその可能性の上に立っているのだから最悪である。
昨日はずっと部屋の中をうろうろするか、一度だけコンビニに行くために外に出たくらいで、何も進展していない。河川敷さんにメール一通電話一本かけていない。今日だって部屋の中をうろうろ歩き回っているだけだ。これではまた日が暮れてしまう。逃げるように何の意味もなく自分の机を見つめてみる。積み重なった本、現在使っている途中のノートとメモ帳、ペンケース、書くあてもないのに買ってしまったミニレターセット……。
暫くそれと見つめ合い、慌ててペンケースからポールペンを取り出して、文言を書きつける。それを飛行機の形に折り、姫小町さんに差し出した。
「小町さん、できましたよね?伝書"蝶"!」

「電話で言えボケ!!」
夕方かかってきた電話に出ると、鼓膜が吹き飛ぶような大声が飛んできた。
「で、電話もメールも、気まずくて……」
「自我でも持ってるかのようにひとりでに飛んでくる紙飛行機を受け取るあたしは三億倍気まずかったぞ」
「ごめんなさい……」
電話先の相手なのに思わず頭を下げてしまう。ついでに姫小町さんにも同じ仕草を繰り返した。
「……とにかく、気に病まないでいいよ。ステラちゃんとオトハ君達もだけどさ、あなたもな」
「うう……」
「己を見つめ直すいい機会にもなった。むしろ感謝してる。ありがとう」
「いえ、こちらこそ……お気遣いに感謝します」
「あ、でも話し合い兼ねて、うちの店の売上貢献してくれる予定だったんでしょ?これは予定通りやってよ。日曜はあたし、シフトないし」
「ぜひ!お詫びも兼ねてお高いものを頼める限り頼みます!」
「ありがてーじゃあまた日曜に」
そうして電話は切れた。姫小町さんを見ると、上機嫌そうに辺りを飛び回っている。
「……我々、始まったばかりですものね」
机の上のミニレターセットを見つめてみた。まだ便箋も封筒も余っている。試しにペンを取ってみた。

日曜日、昼。十一月も終わりが近く、寒さが厳しくなってくる。だからか店内席は殆ど埋まっており、私達は寒空の下、屋外のテーブル席に着いていた。エスプレッソラテの湯気と香りが寒さと混ざって身に沁みる。
「先日はすみません。嫌な言い方をしてしまって」
「だーかーら大丈夫だって。内容自体は間違ったこと言ってないし。印象も大事だが、内容はもっと重要だよ」
「……そう、ですかね」
「たとえば優しめに、ふんわりとした注意じゃ、舐めてまともに取り合わない奴もいる。それで厳しめに注意すると、そんな言い方されると聴く気にならないとか抜かして、結局まともに取り合わない。いるんだよそういうの。ゴロッゴロいる。掃いて捨てるほど。ステラちゃんとオトハ君はまあ、あの子らなりに心配してくれたんだと思うけどさ」
「ちょうどいい塩梅ってないのでしょうか」
「あったなら最初からそっち選んでただろ、あなたのことだし。選べてないことが答えだよ」
「うう……」
項垂れる私をよそに、河川敷さんは表情ひとつ変えずにブラックコーヒーを飲んでいる。私にはそれの何が良いのかわからない。わからないけど、別にいい。河川敷さんには美味しいのだろうし。それでいい筈だ。黒いコーヒーはいいのにどうして黒い歌は駄目なのだろう。レタスサンドとスコーン、レアチーズケーキ、追加の抹茶ラテ。美味しいのに、どこか心が浮かばない。食べ物にも、何より、また河川敷さんに申し訳ない。
「平和がいい……」
ぼんやりと、こぼれた。
「ラブアンドピースか」
「ダサいですか?」
「いや。むしろ格好いいじゃん」
「そういや左月さんのタバコ、ピースって銘柄でしたよね確か」
「そうだな。ハイライトとラキストも好きだけど」
「河川敷さんは吸うのですか?」
「うん。でも好きなのがピアニッシモでさあ。たまに嫌になる」
「え?好きな銘柄なのに?」
「箱見るとわかるけど、女性向きなんだよね。オシャレで綺麗なんだ。だからこう、周りからの舐めた視線を感じるというか」
「それは舐めた視線を向ける人間が悪いですよ。それは明確にダサいです」
「わかる。だからガン飛ばしとくんだわ」
「……河川敷さんは、格好いいですね」
「あ?どこが?」
「気高いというか……ブラックコーヒーが飲めるし、タバコ吸うし、嫌だと思った人を睨めるじゃないですか。自分の意思で。私には、どれも……声のトーンさえコントロールできないし……」
「そうしなきゃ生きられない」
カップを持ったまま、思わず動きを止めてしまった。ブラックコーヒーでさえ変わらぬ顔で飲む人の目がいやに寂しく、遠くの青空を見つめている。
「タバコも、昔は赤ラーク吸ってた。一ヶ月経たずにやめたけど」
「……ええと」
「求められたものと実際の好みや性格に一致するものが多かった。ただまあ、結果としてそれが気高く見えてるなら、ちょっとは報われたのかも。それでも、つまりはな、肺が弱いとかならともかくタバコそのものが苦手だったり、本当はすごい甘党でブラックコーヒーなんてとても飲めない味覚だったとしても吸わなきゃならなかったし、飲まなきゃならなかった。そうじゃなきゃ舐められるんだ。赤の他人にだって基本は怯まない。ガンも飛ばせないなら生きられない。素でもあったけど同時に求められてもいた。そんで『格好よく』なった」
パストラミビーフサンドをかじりながら、河川敷さんはそう語った。その目からは既に寂しさは消え、よく見る少し冷たい色に戻っている。私は止まっていた腕を何とか動かして抹茶ラテを喉に流し込む。浮かんだ言葉も皆一緒に飲み込んだ。何故そんなものを求められているのか。私には想像がつかず、知らない世界で河川敷さんは生きている。
「……あなたのこと、嫌いじゃないけど相性が悪いよな。何か」
「生きた環境の違いですかね。私が呑気に暮らしている間に、河川敷さんは色々……」
「生まれと育ちを恥じても無駄だ。今日と明日と、もっと先の未来のことを考えねえと。だからといって、過去のことを忘れていいわけじゃないが」
「過去は消えないし消せませんものね」
「ま、今はあなたと茶が飲めてるし、悪くないとこには来たんだろうな」
「そう言ってもらえると、光栄です」
ひとつ息をつき、思う。恐らく河川敷さんは、私よりも遥かに厳しい過去を生き抜いてきたのだろう。生き抜く為に冷たく、強くなれと求められ、応じなければならなかった。思えば、本来なら自然界の法則である「弱肉強食」を人間社会で叫ぶ世界だ。ともすれば肉寄りの者でさえ、それに気付いていないのか言い放つ。こんな世界で食われたくなければ、強くなるしかない。
だが実際はこうだ。ふわふわと生きてきた私と、厳しい育ちを駆け抜けたであろう河川敷さんと、(河川敷さんには見えていないが)異種族ですらある姫小町さんが同じテーブルにいる。タイミングが合えば左月さんやオトハ君、ステラさんと同じテーブルを囲むことだってできる。それぞれ違う性格や生い立ちを持っていて、そして皆が皆、河川敷さんのように強いわけではない。少なくとも、私はとても非力で弱いだろう。でも今こうして共にお茶を飲み、話ができる。ちょっと相性は悪いけど。
空は青く晴れている。いい天気だ。こんなに平和なのに、私達は政府に文句を言わなければならない。政府は黒歌と白歌には、同じテーブルでお茶を飲ませてくれないから。それは、少しばかり平和ではない。
「『この世には忘れぬ春のおもかげよ 朧月夜の花の光に』」
「……あ!和歌、ですか?河川敷さんの?」
「いや、式子内親王って人の。あなたを見てたら思い出した。紀貫之の『しづ心なく〜』のやつとか」
「何でですかね?」
「どれも綺麗であなたに似合う」
河川敷さんは頬杖をつき、私を見ている。姫小町さんに反応を求めると、彼女は河川敷さんの頭に留まり、共にじっと私を見つめた。
「お似合いですよ」
「何が」
「河川敷さんにも、それらの歌は似合います。あと青いリボンとか」
「……リボンはわからんが、やっぱあなたは苦手だ」
呆れた顔を浮かべた河川敷さんの周りを、愉快そうに青いリボンが飛び回っている。二人のその差がおかしくて、私はくすくすと笑う。今までは姫小町さんと二人きりの時間ばかりだった。それもいい日々だったが、春告花の人達も過ごす日々も面白い。だからこそ忘れてはならない、私達の目的。おかしい世界に「おかしい」と言うこと。この日々を束の間で終わらせたくないから。気付いたら滅びていた、なんて嫌だ。せめて声を上げてからだ。文句なんぞ言うだけならタダなのだし。

そこからまた色々話したり食事をしているうちに、空がうっすらとオレンジ色を帯びてきた。時期が時期だから日が暮れるのが早い。日暮れに伴い寒さも増してきた。
「……もう夕方だし、流石に解散すっか」
「そうですね。じゃあお約束通り代金、を……?」
鞄から財布を出そうとして、動きを止めた。そう多くない荷物の中に、小さな封筒が一つ混ざっている。それには紙飛行機に使ったものと同じ柄が印刷されていた。じわじわと中に書いてきた内容を思い出し、どうしようか悩んでいると、声がかかる。
「どうしたよ」
「……お渡ししたかったものが、あるのですけど」
「ああ、じゃあ今度会った時にでも」
「いえ、忘れてきたわけじゃないんですよ。ちゃんとここに、持ってきてますし……」
自分でも声が震えているのがわかる。きっと今、彼に不審がられているだろう。そんな中ごまかしはきかない気がする。しかし手が止まったまま動かない。視線が刺さり、冷や汗が滲み出す。
「……姫小町、さん?そこにいんなら代わりに渡してくれ」
「え、あっ」
封筒が素早く浮かび上がり、河川敷さんの元へ運ばれていく。
「さんきゅ。じゃ、貢献もとい支払い宜しく」
そう言い残して、河川敷さんはあっという間に店を去っていってしまった。もうどうにもならないと諦め、私も姫小町さんと共にレジへ向かった。

どうして今まで忘れていたのだろう?それとも考えないようにするうちに、錆び付いていたのか。あるいは、対象が違うからわからなかったのか。
街中で歌う彼を冷笑わらえなかった訳。
歌を区別し、異なる待遇を与える社会に憤る彼らに少なからず憧れた訳。
「……河川敷さんには、伝わりますかね?」
尋ねた先、姫小町さんはハテナマークを軌道で描いた。そりゃそうか。わかるわけがない。苦笑し、また道を歩く。風のみならず人間も冷たい世界だが、今は少しだけ、震えるのを我慢できる。それに、明日はライブだ。二人はどんな歌を歌ってくれるのだろう。

作家修行中。第二十九回文学フリマ東京で「宇宙ラジオ」を出していた人。