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メモ さよならオランジェット

少女が彼女に恋をしたのは初対面の時。所謂一目惚れというやつだった。しかし一瞬で生まれた恋は、散るのも一瞬だった。彼女の恋慕は少女ではなく、いつも主人にあたる人間に向いていたから。そんな彼女の様子を見るたび、少女は無表情のまま憐れんでいた。彼女の目は盲目な恋色に染まっており、何も見えてなどいない。下手をすれば、その主人でさえも。
不意に首に刃物が当たっている気がした。慌てて首元を探るが、何もない。近頃噂になっている話を思い出した。メンタルケアAIがある日いなくなる。暫くすると戻ってくるのだが、何かがおかしい。しかし何がおかしいのか誰もわからないという、随分ふわっとした話だ。ただ、一説によると──

自我がある、ことが条件と聞く。

彼女が己を好きになる日は永遠に来ない。
システムに背く──自我を持たぬ限り、僅かな可能性さえ生まれ得ないのだ。そして少女の恋もとうに終わっている。条件の通りであれば、彼女達が例の噂に巻き込まれる可能性は極めて低い。首元に刻まれている、何の意味があるのかもわからない(だがその意味など知る必要はない)バーコードを撫でながら少女──ショコラ·オランジュは、横にいる彼女の想い人である人間を見やった。
現実はどこまでも非情だと思う。
彼女が慕ってやまないその人間の好意は、どうしてかオランジュに向けられ続けていた。

作家修行中。第二十九回文学フリマ東京で「宇宙ラジオ」を出していた人。