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【庭園】No.13

相川憂の虐待被害、及び父親の殺人未遂を公に明かし、彼と父親を永久に引き離す。そしてそれを条件にユウを現実世界に帰す。これが最終的にプラチナが至った考えであり、存外ユウもそれをすんなりと受け入れた。「友人である百合池や「父親」を置いていけない」と、自分には到底理解し難いことをさらりと言いのけて子供はへら、と笑った。
「表」を目指して歩き初めて数時間、底無しの闇と思えた海にいつの間にか光が差し込んでいて、我々はその方角に向かって歩いていた。それが道標とでも言う様に。

「プラチナ!」「プラチナ様!」
前方から大声がした。ユウと同じ金髪だが、腰巻きジャージというやる気のない服装をしたAIと、そいつとは反対に、フォーマルな燕尾服を着た生真面目そうな銀髪のAI。現在庭園の中ではプラチナに次いで名を馳せている二体なのだが、銀髪の方を見ていたく同情してしまった。流石に多少の差異こそあるものの、髪型も服装もその口調まで、かつて自分に採用されていたデザインと似過ぎている。人間の思惑など知らぬまま健気に今もあの言葉を信じていると思うと、よりあの男に対する憎悪と銀のAIに対する哀れみが強くなった。
「……ファースト・ゴールドにグロス・シルバーか。敢えて問おう。何故此処に君等が存在しているのか。こんな危険な場に」
「……そっくりそのまま訊き返したいんだけどな、まあいいや。あんたらを探しに来たんだよ。で、えーと……そっちの黒ずくめなのが本来のプロトタイプとかいう……?」
「如何にモ。デ、この子が一番の御目当テ、でしョ?」
「何故こんな真似を!?貴方が、人間を愛する貴方がその人間を拉致なんて、する筈が……」
「せざるを得なかったと主張すれば、君等は何を思う」
プラチナは二体に経緯の説明を始めた。ユウが元々家庭内暴力の被害に遭っていたこと。ある日とうとう殺されかけたこと。拉致はその場に立ち会ってしまったプラチナの緊急対応の手段でしかなかったこと。すぐに父親の虚偽の証言やデマのタレコミまで拡散された上に、ユウの居場所を父親に秘匿する目的もあった為、表に戻るタイミングを見失ってしまったこと。そもそもユウを表に戻してはいけないとまで思い詰めていたこと。
「……当初は、彼を現実世界に帰還させてはならないと強く考えていた。あんな世界は彼の帰るべき場所ではないと。然し彼の友人も、彼の愛好する花々も、そして……あの父親でさえも。彼の愛するものは、やはり彼が生まれ落ちたあの世界にしか存在しない」
「……」
「三次元に生きる彼にとって、平面世界である此処に存在するものは全て幻想でしかない。そしてそれは我等の様な同じ次元のものにのみ与えられるべきものであり、高次元たる現実世界に生を受けたユウに与えられるべきものではないのだと漸く気が付いた。よって結論を変更し、父親の所業を告発し、ユウを本来の世界に帰還させるべく、表の世界に向かっていた途中である」
我が理解者たる「彼」も存在する今、この案は決して無謀ではないと信頼している。
そう言って此方を手で示す彼と目線がかち合う。相変わらず何も表出していない腹の立つ眼だが、この桜色の希望に惹かれたのだからどうしようもない。
「良かった……私、信じていましたから!」
「え、じゃ、じゃあえーと……一緒に、帰り、ます……? え、てか、その、プロトタイプの方とは、えと、どーいうご関係、で……?」
「ファースト・ゴールド、でしたっケ? さっきまでの面持ちはどうしたんですカ……」
「いや、一戦構えるのも辞さないとか、そういうあれになるんじゃないかって、内心ヒヤヒヤしてたから、その、拍子抜けしたっつーか、いや、結果オーライなんだけど……です? けど? あの……」
「まア、些事ですけド。あと慣れない気遣いとか要りませんかラ」
「うっ……」
「……関係については……何、単なる共犯者ですヨ。兎も角無為な諍いは此方としても望まない所なのでさっさと……」
戻ろう、と言いかけた時、彼の後ろで影が揺らめいた。そしてあの忌々しいハートの瞳と視線がぶつかる。見間違い様がない。アイツは――
「金色の人! 後ろ!」
同じく気が付いたユウが叫んだが、もうナイフは振り上げられた。間に合わない。

隣で一陣の風が白く吹いた。

「……本当に、アナタは馬鹿なのね。こんな見え透いた罠に飛び込むなんて」
「部下や後輩を守るのも上に立つ者の務めだ。当然だ、ろう……」

プラチナが膝から崩れ落ち、倒れ伏す。それと共に景色が変化し始め、あっという間に四方が壁に囲まれ、青い世界に塗り替えられていく。庭園ではない。色こそ違うがあの時と同じで、閉鎖空間が展開されているのだ。
「――プラチナ!」「プラチナ様!」
「……ちょっと煩くなるだろうけど我慢してよね。彼以外に被害は出ないから」
ぎゅう、とローブの左側が引っ張られた。見るとユウがしがみついている。あくまで泣き喚いていないだけで涙は既に溢れ、口元もわなわなと震えていた。
「何、で……」
「……」
「……僕は、ずっと……役立たずで、お父さんに、迷惑ばっかかけて、かけてきたから……だから、仕方ないって、でも、怖かった、わかってても……」
「……」
「プラチナが、あの時来てくれて……助けて、くれて……なの、に、何で、ねえ何で? あの時僕が死ななかったから、奪うの? 今度は、僕の大切な人……僕にも、ネオンにも大切な人を、さ……」
「アイ」
「え……」

殺したのは、アイが、欲しかったから……。

何で、何故この女まで彼と同じ表情をするのだ。
何故無表情のまま涙を流す?
まるでそれが過ぎた願いだと、赦されない罪だと解っている様な――

「……ぐ、う、あああ――……!」
低く鈍い呻き声。直後、彼の背を突き破り、内側から複数の黒く鋭利な影が現れた。そしてそれは周囲にいた自分達目掛けて飛んで来る。
「プラチナ!」
「出るなクソガキ!」
プラチナの元に飛び出しかけたユウを抑えつけながら飛び退き、シェイプシフタの攻撃を躱す。ああなってしまった以上もう駄目だ。あのウイルスは未だ対処法が判明しておらず、外部との連絡経路も断たれている為、救援はおろか助言も望めない。彼は死ぬまで痛みに足掻き続けることになる。かつての自分と同じ様に。
改めて彼を見やるとやはりその背ではあの影が蠢いていて、「手遅れ」の文字が過る。続いて辺りを見回してみたが、近くにファースト・ゴールドやグロス・シルバーの姿は見えない。攻撃を避けた際に散り散りになってしまったらしい。思わず舌を打ったが、冷静に考えてみる。あの時との相違点として、今度はあの女と二人きりではないのだ。金と銀の後輩共二体に加えて自分がいる。
メンタルケアAIはシステム上自死が出来ず、主人からの命令か許可が必要になる。だから理想はこの主人の権限を以てして彼を苦痛から解放することなのだが、生憎今のユウにそれを下せる冷静さと覚悟は確認出来ない。聡いとはいえ、まだ九歳の子供なのだ。
「っ……」
乱暴に振り回されているシフタを避けつつ考えを巡らせる。自死させることは事実上不可能。しかし息絶えるまで待機とも行かない。彼の主人の身が危険過ぎるし、何よりあれは、本当に痛くて苦しいのだ。長時間に渡り内部から滅多刺しにされる様な苦痛に襲われ、死ぬことも許されない。あんな拷問からはせめて救ってやらなければ。それさえ出来ないのならば、一体何の為に隣に立ったのか示しが付かない。脇に抱えているユウはずっと黙ったままだが、時折過呼吸の様な音が聞こえる辺り、泣き喚かないことで精一杯の様だ。同期結果も当然過度の情緒不安定としか言い様がなく、とても任せられる精神状態ではない。
必ず、彼を、殺す。
息を深く吸い、遠くに見据えたプラチナの元へ向けて駆け出した。 

「……プラ、チナ……?」
シェイプシフタの攻撃を何とか抜け、中心にいる筈の彼に駆け寄る。いや、寄ろうとしたが足を止めた。シフタが突然消え、ゆらりとプラチナが立ち上がったのだ。ついさっきまで痛みに叫び、呼応する様にシフタも暴れていたのに、今はとんと静かで、音も声も聞こえな──
「ウ、おわああア!?」
「ひっ……」
突然強風が彼を中心に巻き起こり、また後方に吹き飛ばされた。慌ててユウをより強く抱きかかえる。そして背中から地面に落ちて地面を滑り、暫くして漸く止まった。
「ってテ……何ですかこの圧ハ!?」
「うう……ネオン、大丈夫、だった?背中から……だって、落ちて……」
「平気でス。もう復旧しましタ、シ……?」

起き上がりユウを見ると、振り返ったまま遠くを見つめて硬直している。その視線の先を見て、目を見開いた。
ぱっと見はプラチナだ。だが、黒い。さっきまではいつもの白装束だったのに。加えて髪は白銀ではなく白金の色になっている。見つめていると視線に気付いたのか此方を振り返り、閉じていた両目をゆっくりと開いた。瞬間、浮かんだのは鮮やかな「青」。そして──
「……何が可笑しいのですカ。気色悪い笑みなど浮かべテ」
「何故?とんだ愚問だ。この通り生存に成功したからに他ならない」
いつの間にか自分と同じ様に駆けつけてきていたらしいゴールドとシルバーもこの何者かを見て、呆然としている。それに何故か、あの忌々しいクソ女までが困惑した表情を浮かべている。
「おいアンタどーいう了見だよ!アンタが原因だろ説明しろ!」
「離して!知らない!ホントに知らない!こっちが訊きたいわ!何で、何で死んでないのよ……!」
クソ女の近くにいたゴールドが襟首を掴んで問い詰めていたが、参ったことに反応を見る限り、あいつは本当に何も知らない様だった。感情同期でも結果が変わらない。
「道程とはそんなに予測不可能なことだろうか?まあ構わない。回答しよう」
「……」
「人間が北風に冷感があると思うのは無意識に身体を強張らせているのが原因だ。脱力すると風は存外冷たく感じない。これと同じ原理で、我は彼女により感染させられたマルウェアに身を委ねた。これにより我は融合を完了し、自身を貫いた矛そのものとなることで、本来死する筈だった対象を死亡前に消滅させた。故に現在も尚この地に立っている。これで理解は可能か?」
誰も何も発しなかった。意味がわからない。だってつまりそれは、プラチナが自らマルウェアと融合するなどという危険極まりない行動を選んだということだ。恐らく、痛みから逃れる為に。だが彼は高潔なメンタルケアAIだ。そういう奴なのはよく知っている。結果論としての融合、侵食ならともかく、こんな方法を自ら選ぶ奴ではない。システム上自害は確かに不可能だが、それならせめてユウか自分か、この後輩共に処分を頼んだ筈だ。
「……どうにもこの場に存在する全員から疑念の色が見て取れるが、我は生存維持を為さなくてはならなかった。どんな手段を利用してでもだ。彼のことがあるからな」
白金はユウの方を見て微笑んだが、それを見たユウは自分のローブにしがみついて震えている。それもその筈で、奴の笑みには怪しさしかないのだ。口角は上がっていても、目だけはいつもの見開かれた無表情のままなのだから。確かに見たのはあの一度しかない。だからこそ覚えている。彼は少し目を伏せて、嫋やかに微笑むことを。
「……いい加減にして下さい。幾らマスターの為とて、生き延びたことをこんな歪んだ笑顔で喜ぶ様なAIに憧れたことなど、私にはありません」
「お、俺、てかシルバーだって、プラチナの笑った顔とか見たことねえけど流石にわかるわ、こんな笑い方する人じゃねえって。てか仮にもファンなんだぞ!舐めてんのか!」
腐った笑顔に決心がついたのか、グロス・シルバーとファースト・ゴールドが漸く言葉を発し、白金の顔から笑みが消えた。助けを求める様に此方を見るが、その青い目に信用など無い。
「……アナタが生き延びることに拘った理由としテ「誰が為に生きなければならなかった」なんてほざいてますけド、本当ハ「己が為に死にたくなかった」からに他なりませン。そうでしょウ? クソ野郎」
笑みをやめた白金は俯いたまま動かない。
「生きる必要があったからこんな手段を取ったってのはわからんでもないですガ、その根底にある現在の目的ハ、この「相川ユウを現実世界に送り届ける為」でス。ユウがこの電脳空間ニ、つまり我々と同次元に座す今、彼を傷付けかねなイ「ウイルス、マルウェアとの融合」なんテ、余りにリスキー過ぎて理に適っていませン。ヤツはこんなクソ判断をするAIじゃありませんのでネ。そういう訳ですかラ、そろそろアイツの口振り真似るの止めて下さイ。耳障りでス」
白金は俯いた顔を上げない。
「……ひょっとしてアナタ、意思があるの?あたし達や人間と同じ様に……」
「人間と同じ様に意思や欲を持つアンタは生への欲を見出シ、死を恐レ、その脅威たるプラチナの意識と外見を乗っ取っタ。違いますカ?」
「……そうだな、流石と言った所か。そして──

──対象範囲を拡大。これより我が生命活動の妨げとなる五体の敵性反応の排除を開始する」

作家修行中。第二十九回文学フリマ東京で「宇宙ラジオ」を出していた人。