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奇跡的な京島と商店街

はじめに

墨田区というと、1945年の下町大空襲の被害を大きく受けた地域という印象を持つ人が多いだろう。この地域は住宅が多く人口が密集していたことや木造建築が多かったことなどから多くの犠牲者がうまれた。しかし、墨田区には奇跡的にこの空襲から免れた地域がある。それは京島エリアである。この空襲によって焼け野原となり商店街のにぎわいが無くなってしまったエリアも多いが、難を逃れた京島では昔から今も盛り上がりをみせている商店街がある。今回はそんな京島の商店街に関しての調査結果をまとめていきたい。

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図中青丸は、東武押上踏切の位置。青丸右上の京島エリアが白くなっていることから、被害を奇跡的に免れたことが分かる。

京島の商店街の特徴

京島は空襲の影響が比較的小さかったこともあり、大きな商店街が多い。また、そのほとんどの商店街が駅の近くにありアクセスがしやすい。昔からあるお店も多いが、これらのお店に加えて近年オープンしたお店も多くあることも特徴と言えるだろう。イベントなども頻繁に行われており、集客の工夫をされている商店街が多いと考えられる。以下、墨田区商店街連合の5つの商店街の概要の引用である。

たから通り商店会
京成曳舟駅から一本南側の道を東に歩くと東京都で最初にできたスクランブル交差点があります。その先に位置する商店街。地域の皆様に楽しんでいただけるように売り出しやイベントなどを開催しています。
十間橋通り商業(協)
逆さスカイツリーの近く。水面に映る「逆さスカイツリー」で有名になった十間橋から北に延びる十間橋通りに面した商店街です。古くから営業しているお店と、近年オープンした個性的なお店が混在しています。
キラキラ橘商店街
現在、90店舗が営業しています。食料関係の店が多く、地域の市場的な役割になっています。
関東大震災・東京大空襲等の被害から奇跡的に難を逃れた為、古くから地域の皆様に愛される商店街。
平成元年にカラー舗装、アーチの立て替え、街路灯の改修を行ない、それを契機に向島橘銀座商店街(協)から、皆様に愛される下町・人情「キラキラ橘」に生まれ変わりました。
小村井駅通り会
小村井駅南側の明治通りに面した商店街です。
生活必需品を取り扱うお店が集まって地域の方々を支えています。
東あづま本通り会
二両連結の電車が行き交う「東あずま駅」の西側に位置する商店街です。
毎月1日の「バンバンセール」の他、2月には香取神社の梅祭りに協賛し神殿で『交通安全・家内安全・無病息災』を祈願したクッキーをプレゼント。
4月は菜の花プレゼントセール、10月には秋の松茸プレゼントセールなど地域に密着したサービスを心がけています。


下町人情キラキラ橘商店街って何?

今回は5つの京島の商店街の中でも、最も店舗数が多い下町人情キラキラ橘商店街を墨田区のマーケティングのコンテンツとしていきたい。現在約90店舗のテナントがある。まず、下町人情キラキラ橘商店街がどういう商店街であるのかその実態をおおまかに明らかにしていく。以下の2つのサイトを参考にまとめた。


現在、キラキラ橘商店街として人々に親しまれているが、正式名称は向島橘銀座商店街という名である。キラキラ橘商店街という愛称は、1989年に商店街全体をリニューアルした際に、4,000通もの応募の中から選ばれた小学校3年生の女の子が考えたものである。向島橘銀座商店街が誕生したのは、昭和35年であり商業共同組合の設立によって生まれた。 以下、商店街の向島橘銀座商店街という名称の由来に関してのひとつの説である。

商店街の名称は、昭和6年に映画館の橘館がこの通りにできたことに由来し、戦前から「橘館通り」として地域住民に親しまれてきた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%91%E5%B3%B6%E6%A9%98%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%95%86%E5%BA%97%E8%A1%97 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戦前から親しまれてきている通りであるということを知り、長い歴史をもつ素晴らしい商店街であると感じた。空襲や経済不況などに屈することなく今日まで存続し続けているのにはなにかその理由があるのではないかと感じた。廃れていく商店街が多い中、なぜこの商店街がキラキラと今も輝いているのかその秘密に迫っていきたい。

キラキラ橘商店街を探検してみた

今回も前回の調査に引き続き実際に行くことが難しい為、ストリートビューを利用した調査を行っていきたい。下町人情キラキラ橘商店街公式サイトのマップを参考に見ていく。

まず、最新版のストリートビューを確認してみた。上記サイトの明治通り側の商店街端のお店から見ていきたい。

 マップを参考に商店街を進んでいくと、公式サイトに掲載されているマップとの違いを見つけた。

 このストリートビューにおける右手にサイト上のマップにはないBig-Aというスーパー、左手に文花Labというプログラミングや理科実験の教室があった。このストリートビューは2020年2月のものであることから、マップはそれ以前に作られたものであったということが分かった。        そのほかに公式サイトのマップと比較して新しく増えていたお店は特にはなかったが、サイトに掲載されていたものの、シャッターが降りているお店は多くみられた。ここ数年の間に店仕舞いをした店が多くあるのかもしれない。野菜や果物、お弁当やお惣菜が露店で売られていたり、自転車に乗って商店街を通っている人がしばしば見受けられたりすることから、商店街に多少の活気は感じられるが、愛称のキラキラ要素まではまだないように感じた。

 次に参考としてストリートビューで確認できる最も古い年のキラキラ橘商店街を見ていく。下記URLのストリートビューは2016年2月のものであるが、最新版の2018年5月のものでは確認できなかった店をいくつか確認することができる。URLの後に貼り付けているストリートビューと比較しながら見て頂きたい。

https://www.google.co.jp/maps/@35.714385,139.8237144,3a,75y,290.83h,92.31t/data=!3m7!1e1!3m5!1sfv3TxpYmVauzsr6FcS6lAg!2e0!5s20160201T000000!7i13312!8i6656

 2018年のストリートビューにおいて閉店の張り紙をしていたカステラ屋や鳥よしという鳥専門店などといった公式サイトのマップにも掲載されていない店が2016年のものでは営業していることに気づくであろう。2016年のこの辺りのストリートビューを見るとシャッターが降りているお店が少なく2018年のものよりも活気があるように感じた。たった4,5年の変化であるがここまでも変わっているのはすごい。

 ストリートビューでの調査を終えて感じたキラキラ橘商店街の課題

① シャッターが降りている店が目立つようになってきている
② 公式サイトのマップが最近のストリートビューとと異なる点があることから広報面での問題がある
③ ストリートビューをもとに個々の店舗に関して調査を行おうとしたが、詳しい情報がインターネット上に掲載されている店が少なく、商店街に行くまでどういう場所であるのかしっかりと把握することができない
④ 商店街の道幅が狭いにも関わらず、自転車に乗って商店街を通っている人が見られ、歩行者との接触等を考えると危険である

キラキラ橘商店街の魅力を伝える人たち

 公式サイトから最近の商店街の情報を得ることが難しかったため、何か良い方法はないのか模索していたところ、ある団体を見つけた。

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http://qublic.net/sumida/

https://twitter.com/Qupidgirls999?s=21

 帰ってきたキューピットガールズという女性5人組のアルドルグループである。Twitterのアカウントの説明によると以下のようなグループである。

すみだと商店街を応援するヘンテコアラフォーアイドル。朝市はお掃除担。食べあるきはフォーエバー。墨田区京島キラキラ橘商店街がホーム。まちを元気に!

 彼女たちのTwitterのアカウントでは、彼女たち自らがキラキラ橘商店街に行き、個々の店舗を宣伝する様子がかなりの頻度で投稿されている。全国各地にご当地アイドルというものが多々存在し、地域を盛り上げていることは知っていたが、彼女達のように1つの商店街に絞って、その商店街をPRするというアイドルグループはこれまでに見たことがなかったため、大変面白いものであると感じた。
 Twitterでの投稿だけでなく、ブログも行っていた。
https://qupidgirls.blog.ss-blog.jp/

 今後機会があれば、彼女たちに会いに行って、このキラキラ橘商店街の魅力に関してインタビューしてみたいと思う。

終わりに

 キラキラ橘商店街に関して、インターネットのみを用いて今回は調査を行っていったが、この調査を通してキラキラ橘商店街の特徴や変化を大まかに捉えることができた。しかしながら、現地調査ができなかった分、その商店街を利用する人々の生の声や現地のより詳しい情報を得ることはできなかったため、しっかりとコンテンツにしていく中でこういった現地調査を行っていきたい。キラキラ橘商店街の他の墨田区の商店街と比較しても昔から長く続いているというコアコンピタンスを活かしたコンテンツマーケティングは重要になってくるだろう。活気が以前より無くなってきている商店街は、墨田区のみならず、日本各地に見られる。こういった商店街を後世に過去の歩みを伝える遺産とするのか、それとも単なる負の遺産とするのか、全く新しいものに変えていくのかということを私たちは今考えていく必要があるのではないかと商店街を調査していく中で改めて感じた。

 最後になりましたが、本記事を書くにあたって、基礎的な知識を教えていただいた春木教授には感謝しております。



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