20240704

読んでいる本についてあまり話したくない感じがある。話題の本をあまり読みたくない感じがある。シェアが一種の正義のようになっている空気があるが、わたしにはそういう感じがずっとある。

SNSに自身が読んだ本のレビューを書く人がいる。それは実際に本の売上を左右することがあるらしい。つまり、その行為は著者のサポートでもある。その意味では、シェアは有意義なことだと理解している。その一方で、危機意識の高い、というよりも過剰なこわがりのわたしは、個人が読んでいる本を公開することは、危うい行為という感じがある。読んでいる本によって、その人の考え方の傾向のようなものが透けてくる。この著者を読んでいる人は、このような傾向の人、というラベルが貼られる。この著者を読んだ人には、あの著者を、というロジックが成立する。すると、似た考えの著作が集まり、考えの濃度が濃くなっていく。考えの島が出来上がる。

考えが透けることの問題は、この人はこういう考えの人、というラベルがつけられ、本人ではなくラベルで判断されやすくなるということである。印象操作に使うならよいかもしれないが、人に特定のラベルを貼れることは、人を窮屈にすることも多い。

話題の本を読むと、はやりの思想を取り込むことができる。社会の空気を感じ取ることができる。その一方で、多くの人が、同時期に、同じ作品を読むという現象に一種の不気味さを感じる。多くの人が同時に似た考えに共感する、という現象が何かと重なってみえる。わたしは同調的、共感的現象から自由でいたいのかもしれない。

某選挙が近くなり、平時以上に罵詈雑言が目立つ。言葉が言葉を汚すために用いられる。美輪明宏さんが、「親は自分の子供に、他人に言わないことを平気で言う、簡単に人権侵害をしているんですよ」と話していた。

壁を叩くと痛い。壁に触れると痛くない。言葉も似たところがある。作用反作用の法則。壁も言葉も同じものかもしれない。強く当たれば強く返り、やさしく当たればやさしく返る。やさしくあたることは主張や批判をしないことではない。方法の問題である。物事には方法がある。いくつもの。

はやくしなさい。しずかにしなさい。ちゃんとしなさい。外に出ると、親に叱られているこどもを頻繁にみかける。同じ言葉を言われてきたわたしはまるでこどもに戻って、その言葉を聞いている。傷ついたことを思い出す。何度も。今、メディアに触れるこどもたちは、罵り合う大人たちをみて何を思うだろう。
「おかあさんにそっくり。」

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