20240712/0938

上野先生の話を聞いていて、穏やかさな中にある鋭さ、ユーモアに痺れ、なんて美しい議論をする人なのだろうと思った。議論とはかけはなれた議論が席巻する中で、こどもたちは議論を誤解していく。議論は、大きな声を出すもの、人を蹴落とすもの、都合の悪いことは黙るものだと。議論に大きな声は必要ない。大きな声が小さい声をかき消すものとしないために、論証という技術がある。議論に夢中になるほど感情が入り込む。議論に過度な感情は必要ない。感情が濃くなるほど、論証が弱くなる。議論がじょうずな人は、人格とテーマをわける。批判はテーマに向けられたものであり、自分の人格を否定するものではないと理解する。議論に怒りや笑いを使う人は、それらの感情よって相手の感情を引き出そうとする。この現象が学問を軽んじる国の状況を映し出しているような気がする。

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