好きなのは、あの曲

「音楽は、みなさんそうやと思うんですけど大好きで...」

 小説家・西加奈子の言葉が、僕と音楽の関係性を言い表すときにも一番しっくり来る。世の人が音楽を好きなように、僕も音楽が好きだ。

 数年前から、ほとんどの曲をSpotifyから聴いている。色々とジャンルを跨ぐようになったのもこのスマホアプリのおかげで、つまり僕の音楽遍歴(つまりはそれに紐付いた僕の思考プロセスのこと)を最も知っているのも彼だということになるだろう。(これは余談だが、ギターをやっている友人に「音楽をジャンルで語るなよ」というようなことを結構強めの口調で言われたことがある。確かにそうだなと思いつつ、でもじゃあ他にどうしたらいいかと考えて、当時の僕はなかなか困ってしまったのだった。マリノスは確かに攻撃的なサッカーをするが、たとえばTVアナウンサーが「攻撃的なサッカーをするマリノス」と紹介するとこちらは少しイラッとくる。それと同じだ。)

 とにかくなるべく新しい音楽(リリース年のことでは無く、個人的な新鮮さの意味においての)に触れたいので、まずはアプリが自動生成した適当なプレイリストを流す。ファーストインプレッションでイイ感じの曲はとりあえず「お気に入り」に登録しておいて、それが溜まってきたら、あとで一気に「お気に入りプレイリスト」を再生する。更にそこでも僕のお眼鏡にかなった曲は、晴れてメインのプレイリスト入りとなるわけだ。

 さて、ここで一つ問題が発生する。この方式を採用すると、タイトルやミュージシャン名を認識しなくても曲をプレイリストに入れてしまえるのだ。散々聴いておきながら、その曲のバックグラウンドについては何一つ知らない。そんな現象が起きている。自分がミュージシャンの側だったら、いい気はしないだろう。

 でも。冷静になって音楽と人間の関係性を考え直してみれば、こちらのほうがよほど健康的な気もしてくる。「誰が作った」とか「何年に作られた」とか、そういうものを抜きにしても好きになれる曲というのは、よりピュアな情念が宿っているというのは言い過ぎだろうか。

 そしてこれは、音楽だけの話ではないようにも思えてくる。つまるところ、発信源が何であるかは、もう正直どうでもいいのだ。というより、いちいちそれ(情報の発信源)を辿っていくのはもう到底無理なことなのだ。「いいね!」をつけたツイートも、Amazonで買ったコスパの良い便利商品も。見える社会が広がれば広がるほど、人は社会を構成する一つ一つの要素を認識できなくなる。結果的に消費行動はより個人的で感覚的な方向へと変化していく。今僕たちの生活を覆っているのは、「なんとなく好き」が大量に集まって出来上がった何かなのだ。

 色々思うことはあるが、結局、今現在も僕は例の方法で音楽を聴いている。それなりに楽しい音楽生活だが、もっと音楽を”愛する”ためには別のやり方があるように感じているのも事実だ。

 ......ちょっとこんな終わり方はどうかと思うので、最近よく聴いている曲を。

 最近の一押し。一晩中踊れる。歌詞は直球で、たまに歪な言葉が紛れ込んでいるのがまた面白い。何より踊れる曲が好きなのだ。

  やっぱり好きなジャミロクワイ。

 クソかっこいい。爆音で聴きたい曲。

 天才。

 最高。Spice Girlsの方ももちろん最高。

 そういえば、聴いている音楽や読んでいる本を聞かれるのが嫌いな人は多いみたいだけど、どうやら僕の脳にはそう感じるような機構は備わっていないらしい。これからも垂れ流していきたいと思う。

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