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「柳川幹也」という選手

広島県出身のプロバスケットボール選手である柳川幹也選手は、僕にとってたくさんのことを頑張らせてくれる大きな存在です。彼から学ぶことが多すぎて、彼の言動に大きな影響を受けています。たくさんの人から愛され、誰に対しても同じように大切にしてくれる人柄もまた彼の魅力の一つです。今回は「柳川幹也」という選手を応援しようとなったきっかけについて書いてみたいと思います!

⚫︎「柳川幹也」という選手との出会い

・中学時代は点取り屋

僕が初めて柳川選手に出会ったのは、彼が中学校2年生の時に開催された県総体でした。当時廿日市市で勤務していた僕は運営側で県総体に関わっていて、彼のプレーを目の当たりにし、一瞬で「あ、すごい」と思わせるほど場を圧倒するプレーの連続でした。「点取り屋」という異名がつくくらい、どんどん点を重ねていって、チームを勝利に導いている姿がとても印象的でした。それだけでなく、テーブルオフィシャルに対してもきちんと挨拶をして、その場を担当していた僕にもお礼を言ってくれたのです。本人はこのことを覚えていないと思いますが、プレーだけでなく人間的にも素敵な選手だと感じた瞬間でした。

その後、全中では1試合51点をマークするなど、「点取り屋」のイメージが定着していき、「得点力」が彼のプレーの象徴となっていきます。ただ、僕が見ていて感じていたのは、「ディフェンスの良さ」でした。彼の「得点力」の裏には「ディフェンス」があったのではないかと僕は思っています。(彼のバスケキャリアの氷山の一角しか見てないけど)

・1度目のACL断裂

洛南高校へと進学した柳川選手は、このとき1度目のACL断裂を経験して、戦線を離脱してしまいました。高校生でACL断裂は相当メンタル的にきついものだったと思います。でもそれを乗り越え、再びコートに戻って来た柳川選手。

この記事の中で柳川選手は

「チームは勝っているときこそ声も出ていて、1つになっています。でも負けているときは声さえ出ていない。そこで僕がいかに声を出すか。プレイでもまだまだみんながそれぞれの役割を理解できていないように思います。だから迷いがある。もっと役割が明確になればチームも変われると思います」

https://bbspirits.com/school/20160510noshirocup/

と述べています。この姿は今でもよく見られる光景で、どんなときでも前向きな、チームを鼓舞するような声をコート内外で響かせています。キャプテンシーの塊。今シーズンバンビシャス奈良の副キャプテンとして、しっかりとチームを熱く引っ張ってくれていると思います。

彼の心の中には常に感謝と情熱があります。だからこそその背中を押したい、そう思わせてくれるのだと思います。

・大学での活躍

早稲田大学へ進学した柳川選手は、気魄のこもった熱いプレーでチームを牽引します。このころ、自分は仕事の関係でなかなか時間をとることができず、あまり大学時代を追えずにいましたが、数回見た試合の中でもハッスルしながらチームを鼓舞し、自らも点を取りながら周りを生かすプレーも、と洛南時代に得た経験を活かしながらバスケを楽しんでいたように思います。

・広島ドラゴンフライズへの入団

そして大きなニュースが舞い込んできました。

まさか地元の球団に特別指定選手として入団し、プロ契約して帰ってきてくれるとは思ってもおらず、僕の心は踊りました。「また柳川選手のプレーを間近で見ることができる!」そう思いながら、なかなか仕事との折り合いがつかず、いつか観に行こうと思って結局行動に移すことはできませんでした。

・2度目のACL断裂

そんなとき、柳川選手の2度目のACL断裂のニュースが突如報じられ、僕は激しく後悔しました。いつか行こう、そう思っていた自分を蹴り飛ばしたいくらい後悔しました。せっかくプロとして広島に帰ってきてくれた柳川選手のプレーを見ることができないまま、彼は戦線離脱してしまいました。
2度のACL断裂は、想像を絶するほどの絶望感と虚無感を彼に与えたと思います。「もう戻ってこないのではないか」そんなことが頭を何度もよぎりました。でも柳川選手は戻って来た。本当に強いと思いました。「不撓不屈」という言葉がぴったりの、乗り越えられないほどの困難にぶち当たったとしてもそれを乗り越えてくる。並大抵の努力ではなかったと思います。
試合に出られずとも、ベンチで声を張り、チームを鼓舞し、今この瞬間自分ができることを徹底してやり続ける。これは高校時代から変わらない、柳川選手の魅力だと思います。

ダブドリさんのインタビュー記事を読んでもらえば、彼がどんな思いで今コートに立っているのか分かっていただけると思うのでぜひそちらを!

・復帰、そしてバンビシャス奈良へ

2021-22シーズン終盤の大阪エヴェッサ戦、柳川選手はコートに戻って来たのです。あのときの会場の歓声はすごかった。それだけ待ち望まれた復帰だったのだと思います。完全復帰ではなかったけれど、広島のブースターにとってとても嬉しい時間だったと思います。

惜しくも3ポイントシュートは外してしまいますが、ブースター感謝祭でその借りはきっちり返したあたり、シューターとしてさすがでした!

なんとなく予想はしていたものの、広島から移籍が発表されました。奈良…行ったことない。そもそも広島のゲームですらアウェーに行ったことのない当時の僕にとっては、奈良は遠い存在でした。もう見れないのかなと思うと、時間がないことに託けて、試合を観に行かなかった自分を責めました。「どこに行っても応援する」その気持ちだけは持っていましたが、僕の気持ちは沈み続けました。

⚫︎ALL AWAYをすることを決心

・初めてのアウェー戦

移籍後、プレシーズンマッチでレバンガ北海道とのゲームに出場した柳川選手を観てから、やっぱりこの目でプレーを観たい!という気持ちがどんどん増していきました。10月15日、たまたま予定が空いていて、しかも広島から近い愛媛でアウェー戦がある。気が付いたら愛媛に行くことを決めていました。その時急性腰痛をやらかしていた僕はコルセットを巻き(笑)、広島港からでるスーパージェットの揺れに耐えながら(笑)松山の会場に着きました。

愛媛オレンジバイキングス戦
初めて一人でアウェーに行って
座った席の両サイドは愛媛のスポンサーのお偉いさんたちだった時の衝撃

「観に来てよかった」純粋にそう思いました。楽しそうにバスケをしている柳川選手を観て、心が滾りました。この背中を押したい、もう後悔したくない、そう思って僕の生活が一変します。

・ALL AWAYのバスケ旅

今まで「仕事」という理由からなかなか重い腰が上がらなかった僕が、行動しなかったことで二度と後悔したくないという思いで仕事との向き合い方を変え、「全てがアウェーのバスケの旅」に出かけるようになりました。もちろん、仕事を適当に「こなして」ではなく(むしろ今の仕事は好きなので)、勤務中は仕事に全力で取り組み、時間を生み出して週末はバスケを観に行くというワークライフバランス(?)に。やればできるし、何なら今の生活スタイルの方が、週末に元気をもらって仕事にも好影響。物事が良い方向に進んでいっている感覚です。

初めて奈良のホームに観に行った時
アシストキャリアハイを記録した東京Z戦
なおとはU15、洛南と東山、早稲田と天理、そして同じチームに。
シカッチェと戯れるやな
凌さんとのマッチアップ
山形戦MIP!13得点のキャリアハイ更新!

⚫︎やっぱり追いかけて良かった

あのときの後悔からスタートした柳川選手を追いかけるバスケの旅は、とても充実していて、バンビシャス奈良のブースターの方々も最初は「広島の人」だったのが今では「いつもの人」のように温かく接してくれて(最初から優しく接してくれてたよ)、やなが活躍するといつも声をかけてくれる素敵な人ばかりです!会場の雰囲気も温かくて、皆さんバンビシャス奈良が好きなんだなってすごく伝わってきます。
そんな中でやなも楽しそうにプレーしていて、やっぱり追いかけてよかったなと。全力で気魄あふれるプレー、熱い鬼ディフェンス、フロアコントロール、そして自分でも点を取りにいく。何よりもスタッツに残らないけどチームのためにという精神と、不撓不屈の精神は、やはり彼のバスケだし、そのバスケを観るのが一番わくわくします!

2022-23シーズン最終戦

これからも、やなが諦めない限り、全力で背中を押せるように応援したいと思います。そう思わせてくれるやなに感謝しかないし、日々の生活の中の楽しみ、活力のひとつになっています。

不撓不屈

彼から教えてもらった大切な精神です。


拙い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。少しでも柳川選手に興味をもって、一緒に応援してくれると嬉しいです。
バンビシャス奈良もとても良いチームです。いろいろとピンチなことはありますが、これを見てバンビシャス奈良も応援してもらえれば幸いです。

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