俺の波乗りヒストリー ②

2006年5月
福岡県福岡市東区。
ここが生まれて初めて故郷「大阪」から離れてから住んだ土地である。

九州一の歓楽街「中州」や、若者があつまる「天神」
その他にも福岡ドーム、マリンメッセ、キャナルシティ博多等々、割と近い距離に刺激的なエリアも多い一方で少し車を走らせると自然豊かな山々が広がる上、何と言っても母なる「海」(日本海・玄界灘)が近くにある。

今や移住のランキングでも全国的に人気の高い「糸島」や学校の授業にも登場した?金印で有名な「志賀島」など離島やリゾート要素強めの場所や漁港や等、海岸線もビーチからリーフまで様々な顔を持った環境である。

先に述べたように俺は市内の東区と言う所に居を構えた。
もちろん会社の社宅だが新築マンションの1LDKで8階と言う何とも微妙な高さの部屋を借り華麗なる!?一人暮らしを満喫していた。

さて相変わらず前置きが長くなっているが、会社の同僚の一言で「サーフィン」への興味が出てきていた俺だが、いかんせん何をどうすれば良いのか、皆目見当も付かなかった。
それに体力的には問題は無かったものの30を超えた年齢であったので「若者の遊び」の印象が強かったサーフィンに対し、多少の抵抗と言うか葛藤の様な物もあったと思う。

そりゃそうである。
縁もゆかりも無い土地で友人も皆無の中、全くの未経験のスポーツに挑戦する程、俺はチャレンジャーではない。
そこでまずは予習をしようと考えた。かの有名な孫子の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」である。(→この辺の例えがおっさんなのだ💦)
当時もネット環境はあったが、当時の俺は今ほどネットに依存していなかったし、生活の中にも浸透していなかったと思う。(youtubeなどの動画投稿もまだ創成期だったしサーフ映像の検索方法なども良く知らなかった)

主な予習としてはサーフ雑誌を購入し付属しているプロやフリーサーファーのDVDを見てサーフィンのイメージやカルチャーの影響を受けたもんである。
また初心者向けのHOW to 本も買いあさり同じく付属のDVDを見まくってあたかも予習だけで「分かった気に」なっていたと思う。

今思えば恥ずかしい限りである。

そんなこんなでテキストとDVDで中途半端な知識のみをインストールして、服装だけは雑誌ファイン(当時のサーフ系ギャル雑誌)に出てくる様な格好で固めたそれは実に立派な「丘サーファー」が見事に出来上がったのであった!!(爆笑)

さぁ、時は来た。
事前に調べてある最寄りのサーフスポットとサーフショップに向けて、いよいよ出発する時が来たのである。(続く)

このメモは日々衰えていく記憶力に対しての備忘録である(笑)

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