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勝ち負け

勝てば勝てさえすればいいのか。単に体育の授業の出来事だけど、あまり大敗も大勝も経験は希薄な積りだったが、何もしてないとか出来ないという時間やプレイヤーは、そのゲームの中では生まれてしまう。これは、先ずは仲間の目線で言ったが、勝ってる側の、対してルーザーチームでは無力感に襲われるだろう。
例えば、野球では慣習マナーとして、大量リードでは投手がヒッティングやランナーが盗塁で進塁を目指さないとかが有ったはずだ。そういった、完膚無きまでには叩き潰さない温情措置は有って良いとか悪いの話ではないだろう。
アマチュアやプロだ興行、それこそスポーツビジネスであったり、話は定まらないが、手を抜くことも、そして、誰かがゲームから逸れる感覚を覚えるのは、効果的だとは思えなくて、単にバカ勝ちするのも骨が折れるなと思った。努力や工夫が反映されないように見えてならないから、そしてスポットが本当に極々狭く一握りに絞られるからということも手伝うだろうか。
勝ち負けや活躍が分かりやすい比較的容易に分かるスポーツでなくたって、仕事とか何かを、巧く協働で、共有して積み上げる時間や体験はかなり重要なのでは、とチーム団体グループとか複数人数から構成されるものには存在するなと改めて感じた。
活躍とか目立つ、脚光を浴びるって、自分一人で十分と思っている人もいるかもしれないが、そんなことを本気で追い求めている内は、深さや厚みが無い空っぽ野郎な、或る意味平凡で並みな奴に終始する気がした。リーダーシップもフォロワーシップもバランス良くが難しいけど、かけがえのないものなんじゃないかと思った。

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