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勝ち負けも騙されるも違う

日韓の対北対米の外交が熱いというか、凌ぎを削る様に掻き立ててはいて、まあ国内では、文書書き換え疑惑のゴタゴタ劇をやっとこさ一年かけて辿り着けて、コレは内閣総辞職モノとか戯言というか、財務省に政権幹部とか与党自民の根回しがどれ程エッセンスとして効いているかは分からんから、何が真実かが、やはり、明瞭には見えて来ず、歯痒くもどかしく、スペクタクルかサスペンス的かショー、それも奉り上げタイプの正にそう激情型かつシアトリック。
まず、外交に焦点合わせると、南北首脳会談開催決定に、希望願ったり叶ったりの韓国と北朝鮮そして米国とはまた別次元的に引いた目プラス羨望感嫉妬、疑義を呈したく抱きたい心情を状況証拠と歴史観的に、日本は持ちたい論調なのが、政府の色も、特にメディアも何故か韓国の何処と何と競るかはいざ知らず、やはり、スポーツにもある日韓戦的な意識で対抗心を、これまたお決まりフレーズとして密かに静かに燃やしている、韓国ほどには昂らずに言ったトコロの様に見える。
単純な先を越されたとか、ウサギとカメによるジェラシーにも見えるし、何処までも主観性が過ぎるのもそうだし、反射的な反抗という脱ぎ切れない染み付いたアレルギーのような風にも思える。非核化が焦点なのに、どう転ぶかまでにも、ケチを付けてそれを報じて世論形成して、果たして一意に固めることがそれほどまでに重要なことなのか、日米政府やメディアの論調には些か疑問符がつく。
戦争回避と非核化が手に入る兆しを先ずは、得たのだから、双六的に分析して、手を用意すればいい。手をこまねいている癖に、俯瞰なのか傍観なのか判然としないポーズで、冷静沈着を装うのではなく、大局的に事なきを得て、ゴールに向かうことにのみ心血を注いだ、発想であったりを期待したい。
怪しいとか懐疑的を強調または一辺倒の姿勢も危険であるし、懐の浅さを露呈している気がしてならない。

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