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ウルトラミラクルラブストーリー

2024年7月19日、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭も中盤にさしかかったこの日、特集上映として本作、ウルトラミラクルラブストーリーを見た。平日だったが、この日だけはどうしても参加したく、バイトを休んだ。

斜め前の席には監督の横浜聡子がいた。ドキドキしていたら映画ははじまった。冒頭の部屋の暗さから感動する。主人公、陽人の目覚めの瞬間は足の裏で見せている。

タイトルクレジット、すごい。というかもうずっと凄く、自分の映画含め立て続けに見た自主映画と無意識に並べて見たのもあったせいか、あらゆるシーンが桁違いに面白かった。陽人と町子の出会いのシーン、陽人が幼稚園に侵入しようとするシーン、二人で自転車で帰るシーン、陽人が公衆電話から町子に電話をかけるシーン、二度目の二人で自転車で帰るシーン、町子が陽人についた農薬を洗い流すシーン。ああ。これは、泣いてしまいます。という瞬間が何度もあった。陽人が町子の亡くなった恋人に宛てた手紙なんかも、やばかった。

「かなめは、町子先生の前の彼氏か。もう死んだのか。僕は町子先生にはじめて会った時から、町子先生が好きだ。かなめは浮気してたのか。ほんとか。同時に二人も好きになるなんて信じられない。僕は一人でも多すぎるくらいだ。」

ああ。文章だけで読んでも凄いが、松山ケンイチ演じる陽人の声で聞くと、ここは本当に泣いてしまう。

あっという間に映画は終わり、Q&Aセッションもすぐに終わった。
終わったあと、横浜さんと話したくてロビーでもたもたしている俺を見兼ねた優しい映画祭のプログラマーの方が、横浜さんと俺が話すチャンスを与えてくれた。横浜さんの映画は、映画を見始めてすぐの、まだ何も知らなかった大学生の頃に何かのきっかけで見ていて、それ以来長らく憧れの監督だったが、話せたのはこれがはじめてだった。感想と、いつかこんな映画が撮りたいということを伝えた。感想は、あまりうまく伝えられなかった。

いい映画だったなと、思い返す度に出てくるのはいつも具体的なシーンばかりだが、この映画が何よりも素晴らしいのは、そのテーマなんだと言いたい。

人生に、あるいは自分が生まれてきたことに意味はあるのかという問いに、この映画は、意味はないとも言ってるし、意味はあるとも言っている。

麻生久美子演じるヒロインの町子は、恋人を事故で失い、失意のどん底で単身青森へと移る。

恋人の死によって、町子の人生には強烈な意味が生まれた。それは抱えていること自体が苦しいもので、かつ簡単には手放せないものだ。そんな人生の意味を小さくしてくれる存在が、松山ケンイチ演じる主人公の陽人だ。思えば、町子が幼稚園の先生という設定も抜群で、なぜなら子供たちにとって、人生に意味はないからだ。そんな子供たちと、同じく子供そのものかのような陽人の存在によって、町子の人生の意味が薄まり、立ち直っていく様に、前半はただただ感動する。(子供たちに携帯を取られて追いかけっこみたいになるシーンや、帰り道、陽人が町子の自転車に乗って勝手に漕ぎ出したのに倣って、町子も自転車に乗って陽人を置いてくみたいになっちゃうとことか。)

適当なことは言えないが、町子にとっての陽人が人生の意味を薄める存在だとしたら、陽人にとって町子は、彼の人生に意味を与えた存在なんだと思う。ラストシーンに感動するのも、そういうことだろうと。
陽人の死体は東京に運ばれ、脳みそは約束通り町子へ、町子は最終的にその脳みそを熊に投げ与えることによって、子供たちと熊の両方を救っている。陽人がこの世に生まれてきたことには意味があったと、完全に描き切ってこの映画を締めくくっている。

そしてそんな映画のタイトルを「ウルトラミラクルラブストーリー」としている。これ以上ないだろう。恋愛映画に死の意識を持たせるという発想自体にピンときていなかった自分にとって、この映画の存在は貴重だ。

帰り際、他人のペンと他人のパンフレットで、横浜さんにサインを書いてもらった。サインの上に書かれた日付を見て、あ、今日誕生日だと思わず言うと、上に「おめでとうございます」と書いてくれた。

26歳になった。この日のことを、これからも覚えていたい。

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