おじいちゃんに伝えたかったこと

4月12日、母とともに昼食をとっていた時に祖母から入ってきた電話。

「おじいちゃんが危ないかもしれない」

母が先に受話器を取って話した後、私に電話が回ってきて祖母の口からそう告げられた。


私の祖父はリウマチを患っていて手首が不自由だったけど、半月前に会った時はとっても元気で、地方から二時間かけて車で会いに来てくれてた。

仕事を辞めてから太ったからって、祖母に食事制限かけられてたけど、助六寿司が大好きでみんながパンを食べている中でも、「助六ならいいぞ」っておいしそうに食べてた。

だから、その一報を聞いたときなんでかわからなかったし、もう病院にいるようだったから、どうせ大丈夫だと思ってた。でもなぜか、母は慌ててお昼ご飯に食べていたシュークリームも食べかけのまま、車に乗って出ていった。


それから、二時間がすぎて14:30くらい祖母から再び電話がかかってきた。

母はもう家を出ていたから次は私が受話器を取った。

「今家かい?」心なしか、いつもより元気がなくて頼りない祖母の声が電話口から聞こえてくる。

「うん、そうだよ」なんとなくよくない予感がしたから、「おじいちゃんどうだった?」とは聞かなかった、聞けなかった。




「おじいちゃん死んじゃった」

さっき感じた悪い予感は的中して、祖母の悲しい声が聞こえてきた時うまく返事ができなくて、悲しいのに突然のことで涙も出なかった。

あとから聞いた話、第一報の時点で祖父は亡くなっていた。けれど、私が過去に精神障害患っていた(正確に言うと今も治療中ですが)ことから母はわざと気遣ってくれていたんだと思う。

その日、祖父は仕事を辞めてからの日課だった朝の散歩に出かけていた。その途中突然倒れ、倒れたところを通行者の方に見つけられて救急車を呼んでもらったらしい。一時間半も心臓マッサージをされて左胸は真っ赤で肋骨も折れてしまっていた。でも道端で倒れてしまったものだから、何か事件に巻き込まれた可能性もあると言われ、その日遺体は警察に預けられて精密検査に回された。翌日、検査結果が言い渡されようやく自宅に帰ってきた。
検査の結果は、急性心不全だった。

祖父の死から二日後葬儀が行われた。この日授業もバイトも全部休みの連絡を入れて、初めて祖父と今までとは違う形で対面することになった。


車で揺られて二時間、実家について家に入るとまず祖母が「おかえり」と迎えてくれた。きっと平然を装って言ってくれているんだろうな、と思いながら久しぶりにみる親戚もいたから挨拶をした。

それから、居間と繋がった和室に通されて祖父を見た。その瞬間今まで我慢してきた何かが溢れてきて、涙が止まらなかった。私の母と弟は線香をあげて一緒に手を合わせている中、何も言わない祖父に悔しさと悲しさもこみあげてきた。祖母に「顔見るかい?」と聞かれたけど、怖くて見られなかった。いつもわたしが帰ってくると、亭主関白らしくソファーに居座って私の名前を呼びながら、「おー帰ってきたか、」って話しかけてくれた祖父はもういなかった。

祖父と祖母には子供が二人、どちらも女だった。20代30代は家に帰れば女しかいない、そんな家に生きてきたから、きっと孫は男の子が欲しかったんだと思う。祖父の長女から生まれてきたのは男の子、つまり私のいとこ。次女から生まれてきたのは、私と私の弟。つまり、3人の孫のうち女として生まれてきたのは私だけだった。だから、身内で集まれば男同士で祖父の手作りのベランダに集まってバイクの試乗会開いたり、いらなくなった工具を譲ったりしてた。実家で飼っていた犬にご飯をあげるときも「お前はまだ早い」って許してもらえなかった。小さいながら、私はおじいちゃんにかまってもらえなくて悔しいな、っていう気持ちが芽生えて、どうにかして認めてもらいたかった。すべてが学歴だというわけではないけれど、私の家系は大学を卒業した人はいない。だから、祖父の気を引きたくて中学校の時から勉強だけは頑張ろうと決めてきた。高校に合格しても、テストでいい成績を収めても褒めてくれるのは祖母だけだったけれど、国公立大学に合格できたとき初めて祖父に「すごいな、」って言ってもらえた。「こんなの誰に似たんだ、うちの家系の血じゃないな?」って冗談めかして笑っていた。

大学に入ってからは、就職のこととか色々話してくれた。「大学はたっぷり時間があるんだから、人脈つくれ、」って言われて、オンライン授業でなかなか人脈づくり難しいなって思いながらも、祖父のアドバイスをもとにしてちょうど祖父が亡くなる二日前大学のSAに応募していたところだった。採用通知が来たのは祖父が亡くなった翌日だった。


お通夜は家族だけでこじんまり行われる予定だった。でも、祖父の仕事場の人、実家のお迎えさん、昔から仲の良かったクリーニング屋さん、予定よりも多い人数来てくれた。福岡や横浜の親戚からも大きなお花が届いた。祖父が言う人脈が大事という言葉の偉大さに気付かされた瞬間でもあった。


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おじいちゃん、早すぎるよ。みんな、びっくりしてるよ。でも、おじいちゃんがいちばんびっくりしたね、
今まで本音で語り合ったり、自分のこと開示して話せなくてごめんね。
どうしてもおじいちゃんには認められたくて、自分のいい状態しか見てもらいたくなくて。
認めてもらえなかった時、予想通りの反応もらえなかった時悔しかったときふてくされたりしちゃってごめんね。
私は今も、おじいちゃんが教えてくれたこと、全部守って頑張ってるよ。おじいちゃんが教えてくれたから、こうしてるんだよ、ってもっと伝えておけばよかったね。ごめんね、これからは天国から見ててくれる?

あとね、道で倒れるのはよくないよ、おじいちゃん。おばあちゃん、一夜でもおじいちゃんのいない夜は寂しいんだよ。警察の人と仲良くしなきゃいけなくて大変だったんだよ。それにおばあちゃんのこと、何も言わずにおいていくのもよくないよ。いつまでも亭主関白でいたらだめでしょ、いつまでご飯よそってもらってるの。お花の手入れに周りのお世話も大変だよ。あとね、おじいちゃん装束似合ってないってみんな口そろえて言ってたんだよ。やっぱり、おじいちゃんはバイク乗るときの格好でなきゃおじいちゃんらしくないよ。

明日は初七日だね。少しの間だけど、おじいちゃんに伝えられなかったこと四十九日までに伝えていくから、耳澄ませてて。
おじいちゃんも、みんなに伝えきれなかったことあるでしょ?ちゃんと教えてあげてね。そしておばあちゃんのそばにいてあげてね。

おじいちゃん、いままでありがとうね。さようならはいわないよ。ずっと見ててね。就職先決まったら、報告しに行くからね。これからはおばあちゃんが寂しがらないように、わたしが電車に乗っていっぱい会いにいくから、あんまり心配しないでね。そしたら、おじいちゃんの仏壇あげにいくから食べたいものおばあちゃんに教えといて。実家の近くじゃ買えないおいしいもの買っていってあげるね。


また会おうね。



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