アルゴリズムのつまらなさ

藤井聡太七段(17歳)最強将棋ソフトが6億手以上読んでようやく最善と判断する異次元の手を23分で指す
新時代を告げる歴史的な一手として後世に伝えられるでしょう

将棋界については全く知らないし、将棋ソフトがもう多くの棋士の間で研究ツールとして活用されているというざっくりとしたことしかわかっていないのだけれど、このニュース記事で人間が指す一手のすごさを将棋ソフトの処理回数で数値化することへのためらいのなさにちょっと驚く。

明確な数値を吐き出す将棋ソフトを使うことで、長い検討時間を要する人間棋士の解説よりもアルゴリズムが弾き出した「6億手」を記事の根幹とすることが、速報性という利点のみが強く重視される昨今の状況と相まって人々の耳目を引くこととなる。

でもアルゴリズムで人間の能力を数値化することの無意味さというか、そのカテゴリーのミステイクっぷりに違和感を感じるのは私だけではないはず...だと信じたい。例えば、パンにレタスとハムを挟んでサンドイッチを作る家庭用機械を500万円で作ったとして、それを見た5歳の子供が同じようにサンドイッチを作ったら、その子供は500万円の価値があるという話には全然ならないことはごくごく当たり前なのに、将棋ニュースには「6億手」という見出しが踊る。

言うまでもない当然のことであっても、たまには言葉にしておかないといけないんじゃないかと思う。人間が価値判断する時の根拠をソフトウェアやAIやアルゴリズムが出力する数値に頼るその「躊躇のなさ」に、何かとてつもなくつまらない世界に向けて加速していく群れのようなものを感じてしまうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?