ライブ後に、改めてMegadethについてつらつらと考える
2023年2月27日、日本武道館でMegadethのライブを見てきた。いまさら言うまでもないミュージシャンシップの高さと、研ぎ澄まされたステージプロダクションが展開された、プロフェッショナルのライブ・ショウとしてただただ素晴らしかった。・・と言うほどの息のつく間もないほど緊張感に満ちた空間だったかといえばそうでもなく、ときおり挟まれるDaveのMCはユーモアと感謝の言葉に満たされていた。「まさに今ここにいる日本の観客がワールドワイドに配信されているんだ」ということを嬉しそうに強調していたのが印象的だった。
Marty Friedmanとの共演も、武道館公演と双璧をなす今回のライブの歴史的意義だろう。Megadethを脱退したあと、日本を拠点にして活動していたMartyだからこそ、この巡り合わせが実現した。まさに場所とタイミングが噛み合ったのが今回のライブだ。これまた言うまでもないことだが、キャンセルされた前回の武道館公演から30年が経っているにも関わらず、MegadethもMartyも共に現役のミュージシャンとして活動してきたからこそ、今回のノスタルジア以上のライブに可能になったのだろう。
とまあ少しライブの感想を書いたものの、こうした文章はこれからドカドカ出てくるだろうから少し趣を変えたことを。といってもこれまた沢山書かれてきたこととは思いつつも、Megadethの音楽的特徴について改めて思ったことを簡単に述べてみたい。
Megadethは2ndの「Peace Sells…But Who's Buying?」で、おおむね音楽的方向性が完成した。1stの「Killing is My Business… and Business is Good!」ではNWOBHMフォロワー感がまだ残っていたが、明らかに2ndにおいて一定の方向性を示した。これはMetallicaも同様で、双方とも2ndからバンドの「アイデンティティ」を確立したと言えるだろう。
そこで得た軸をMegadethはこれまで維持し続けている。色々な方向に枝葉を伸ばそうとしながらも、不動の軸は絶えず存在し続けていた。一方のMetallicaはそのキャリアにおいて軸そのものを移動し続けている。90年代の彼らがそのことをよく現している。
ではMegadethが2ndで示した彼らの「アイデンティティ」とは何か?ひとまず言えるのは、異様なまでの移動の激しいリフ・ワークである。
Spider Chordと呼ばれるコードチェンジ奏法が象徴するように、次々と変化していくそのスタイルはさながら無調音楽のようである。それに加えて一曲の中でぶつ切りにされたようなテンポチェンジも行われる。おそらくはその上で歌われる特徴的なDaveの声が、ともすれば崩壊しかねない曲のトータリティを支えているのだろう。
例えば2ndの1曲目、「Wake Up Dead」をギターリフごとに分けるとおそらく下記〈a〉〜〈h〉の7つのパートになるだろう。
〈a〉 0:00〜0:47
〈b〉 0:48〜1:00
〈c〉 1:00〜1:43
〈d〉 1:44〜1:54
〈e〉 1:55〜2:02
〈f〉 2:03〜2:24
〈g〉 2:25〜2:36
〈h〉 2:37〜
さすがにここまで極端に展開が変わる曲ばかりではないが、テンポや拍が唐突に変わり、歌の入るパートもギターソロが入るパートも、その順序が一般的な曲構成からは予想がつかないことが彼らの曲にはしばしばある。一方でシンプルな構成の曲であっても、繰り返されるリフには微妙に変化が加えられる。
パート内部での細かい変化からパートそのものの変遷にいたるまで、とにかく1曲を通じて同じ演奏を繰り返さないことが基本スタンスになる。それこそDaveがギターソロを弾く場合には、その間はそもそもリフを弾かないため繰り返して弾くパートが曲中にほとんどないこともあるだろう。「インテレクチュアル・スラッシュ・メタル」という命名が妥当かはともかく、ユニークな音楽性であることは間違いない。
こうした唯一無二の音楽を作り続け演奏し続けていることで、彼らはメタル・ミュージックの中で不動の地位を確立してきた。様々な困難に直面しようとも、また音楽的変化の誘惑に遭遇しようとも、彼らにしか成し得ない音楽の軸があるからこそ、現在でも素晴らしいアルバムを作り素晴らしいライブを行うことができる。そうした彼らの「アイデンティティ」から生み出される音楽を、これからも受け止めていきたいと思う。そう確信することができた武道館ライブだった。
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