映画『ペーパーシティ』を観た



https://papercityfilm.com/jp/?lang=ja

5月29日、映画『ペーパーシティ』を観てきた。
1945年3月10日に起きた東京大空襲に関するドキュメンタリー映画である。


この映画は戦争に関するドキュメンタリー映画でありながら、空襲の歴史的経緯や具体的・全体的な被害状況が積極的に語られることはない。この映画がフォーカスを当てているのは、撮影当時(2015年頃)の現代を生きていた空襲生存者たちの発する「声」である。78年前、筆舌に尽くしがたい空襲当日を生き延び、あらゆるものを失いながらも、どうにかあの日を語り継ごうと奮闘してきた生存者たちの肉声が『ペーパーシティ』という映画を構成している。

この映画のタイトルの一部である「ペーパー(paper)」には複数の意味が込められている。当時の東京の街並みが空襲で燃えやすい木や紙でできていたこと。そしてその燃えてしまった記憶を語り継ぐために、生存者たちが集めた証言や署名といった記録資料のことである。実際、東京大空襲に関する資料を管理しているのは今も昔も民間が主体であり、多くの体験記や当時の状況を知ることができる東京都江東区の東京大空襲・戦災資料センターの民間施設である。

一般的に、あらゆる記憶の継承には困難が伴う。なぜなら時の流れとともに必然的に発生する世代交代が、継承断絶の契機となってしまうからだ。最新の情報よりも自分が生まれる前の記録を紐解こうとする人の割合は決して多くない。かつての東京の街並みは70年以上前に焼き尽くされてしまい、現在の私たちの視界にはほとんど存在していない。いくら資料として当時の記録を膨大に残したとしても、その1枚1枚のページを繰るためのきっかけがなければ後世に伝えることは難しいだろう。

だからこそ、資料を語り継ぐ当事者の不在という来るべき未来に対し、そうした資料を保管しながら次世代が記憶を新たに語り直す物理的な空間が必要になる。この映画の中でも、生存者たちが国に対して被害の実態調査を依頼し、補償を求め、記録施設の設立や慰霊碑の建立を要求している姿が収められている。

『ペーパーシティ』には、記憶を語り直す当事者の声がふんだんに収められている。そしてこの映画を観た者は、こうした当事者の語り直しがもう二度と実現できないことを突きつけられる。1945年3月10日の記憶と記録を引き継ぐ主体、それはすでに第一世代である生存者ではなく、すでに現在を生きる私たちである。受け止めざるを得ないこの厳然たる事実を、この映画は真摯に伝えてくれる。

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映画の帰り道、空襲つながりで横浜市中区の平和記念碑に向かった。映画館の近くであり、かつ以前から立ち寄ってみようと思っていた場所だった。


天気は雨。傘をさしながら関内駅を出て、交差点を渡ると大道り公園の入り口がある。この公園は幅30mほどの石畳の遊歩道が1km以上奥に伸びていて、随所に木々が植えられていたりオブジェがあったりして、とても変わった形状をしている。その一番奥にあるのが平和記念碑だ。その碑に近づくと数人が献花をしていて、その脇には警備員が立っていた。置かれた花で石の一部が隠れてしまい、また近くで写真を撮る雰囲気でもなかったので、本当はゆっくり見たかったけれど、そのまま徒歩で通り過ぎた。

その帰り道に気付いたのは、5月29日はまさに横浜大空襲が起きた日だったということだ。だから献花に人が訪れていた。
そのことに全く思い至らなかった自分の無知さと鈍感さに呆れつつ、78年前の今日この場所には先ほど見た映画の光景が現実のものとして広がっていたのだと思い、過去と現在のか細いけれども確かなつながりを感じた。歴史として語られる事象は過去の中に閉じ込められているものではなく、今を生きる私たちと結びついている。そんな素朴な、けれどもとても大事なことに想いを馳せた1日だった。

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