フラットアーサーは2割の蟻?

ふと思ったのだけれど、Flatearthers(フラットアーサー)=「地球は平面だと信じている人たち」は、いわゆる働きアリの法則で言われる2割の蟻なのではないだろうか。


Flatearthersは、最近アメリカで増えている「地球は球体ではなく平面」論を信じている人たちのことだ。

彼らは通常の科学知識一般に懐疑的で、陰謀論的傾向を持っている。(ただ、上記のドキュメンタリーを見ると、自説の地球平面説を実証しようとしてある程度の「科学的」手法で持って実験を行ってもいる。反進化論や反ワクチンとも結びつきやすいのは事実であり、その点は批判しなければならないが、科学の発展に貢献してきた「問いを立てて実験し考察する」という常識的な手法を行なっていること自体は揶揄べきではないと個人的に思う。)

そのような懐疑、現在の世界では当たり前だとされて誰も疑いを持たない知識に反抗する態度は、いつの時代も冷遇され否定されてきた。あらゆる学問の歴史で繰り返されてきたことである。

一方、働きアリの法則というものがある。大雑把に言えば、蟻の集団のうち6割〜8割の蟻が働いて2割の蟻がサボっているというものだ。その2割の蟻を別の場所に移し、8割だけの蟻をその場に残したとしても、その8割の蟻のうち2割はサボり始める。つまり、蟻の集団に占める働く蟻の割合は、集団を構成する個体に左右されないという法則だ。

さっきふと思ったのは、この法則を人間に当てはめると、8割の蟻が一般的な人たちで、2割の蟻が陰謀論や地球平面説にハマってしまう人たちではないか、という雑で乱暴な図式的直感だ。科学知識一般をせっせと消化吸収する8割に対し、決してその知識を受容しない2割の人たち。これは生物が多様化していく過程でよくある現象なのではないだろうか。

あまりにも現代科学が、人類全般にとっての疑うべからざる知識の前提と「なり過ぎてしまった」が故の、その知識圏からの必然的・不可避的な逃避が起きた。それは思いっきり矮小化して言えば、ひねくれた中学生がクラスのみんなが話している話題に嫌悪感を覚えるのと構造的類似性がある。


多様なジェンダーや様々なマイノリティを肯定することが正義と言われるこの時代(それはもちろん言祝ぐべきことだ)、陰謀論やFlateathersと私たちはどのように付き合っていくのか。交流をすればいいのか、住み分けが必要なのか。他者と共生というリベラリズムの大きなテーマへ具体的な課題が突きつけられている。

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