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『移民クライシス』


留学生たちは日本人が嫌がる仕事で酷使され、しかも稼いだ金の多くを日本語学校などに学費として吸い上げられる。そんな生活を続けていれば、自らの境遇を恨み、日本という国自体にも反感を持つようになって当然だ。そうした外国人の若者たちと、私はこれまでどれだけ出会ってきたことか。だからこそ、現状を改めるべきだと訴え続けている(p233)

「留学生」を送り出す側・受け入れる側の事情、「留学生」本人の状況から関連国の政治的動向まで、著者の多岐にわたる取材が詰まった本書。9つの章立てを近接テーマごとにまとめた。

第一章 「朝日新聞」が隠すベトナム人留学生の違法就」
第二章 「便利で安価な暮らし」を支える彼らの素顔
  →1、ベトナム人留学生の労働現場

第三章 「日本語学校」を覆う深い闇
第四章 「日本語教師」というブラック労働
  →2、ベトナム人留学生を受け入れる日本語学校

第五章 「留学生で町おこし」という幻想
  →3、日本語学校を受け入れる地方自治体

第六章 ベトナム「留学ブーム」の正体
  →4、ベトナムの状況

第七章 「幸せの国」からやってきた不幸な若者たち
第八章 誰がブータン人留学生を殺したのか
  →5、ブータン人留学生

そして第九章とおわりにでは、2019年4月から施行された改正入管法、付随する規制緩和策、政界が関わる留学生ビジネスにおける利権団体等の分析がなされる。

以下、1〜5についてメモ書き程度ではあるが、簡単に要約していきたい。


1、ベトナム人留学生の労働現場

1章・2章では、朝日奨学会によって受け入れられたベトナム人労働者による、過酷な新聞配達の現状と組織ぐるみの差別的対応が詳述される。日本人より多い出勤日数や労働時間、残業代の未支給、日本人に支給される電動自電車ではなく普通の自転車が支給される等、あからさまな待遇差別が行われているも関わらず、自紙の配達を担っているが故にその新聞紙面上でほぼ報道されることはない。自らの言論を市場で流通させるための手段に対しては目をつぶる、そのジャーナリズムの欺瞞性を著者は鋭く批判する。
過去、2年間の契約を朝日奨学会と交わしたことのあるベトナム人のハイ君(仮名)の言葉が紹介されている。彼は法定で週28時間と定められているにも関わらず、「朝2時から6時半まで、午後2時から5時半まで」配達し、日本人がやらない広告の折り込み作業が週1、2回も課され、「夜10時過ぎまで」した日もあるが「残業代を払ってくれることは一回もなかった」。週間の労働時間はゆうに40時間を超える(p49)。一度大雪が降った時の状況は過酷を極め、普段より配達にかかる時間が増えることで、金曜から日曜まで「合計45時間連続の労働」となった(p50)。
ハイくんが直接朝日奨学会の相談窓口に訴えてもまともが返答はなく、目の前の仕事を行う以外の選択肢が与えられることは無かった。

私は最初の1年間、一度も日本語学校を休まなかった。そうして結果を残した後、販売所の労働条件について再び奨学会の担当者に相談した。すると今度は、「ちゃんと学校に来られるから問題ないじゃないか」と言われてしまった。学校に行けなくなるまで奨学会はなにも行動を取ってくれないということなのか。私は怒りを覚えた。実際、同じ店で働くベトナム人奨学生に先輩や同級生には、仕事の大変さに加え、販売所の日本人から暴行を受け、学校に行けなくなったり、帰国した人もいた(p49,50)


2、ベトナム人留学生を受け入れる日本語学校

3章4章では、留学生が所属する日本語学校の実態、そしてそこで実際に働く日本人教師への取材が紹介される。騙されたも同然の多額の借金を背負っている留学生にとって、定められた「週28時間以内」の法定労働時間を遵守するような余裕は一切ない。長時間の肉体・深夜労働を日々行う留学生の日本語学習が進まないのも無理はない。そして日本語学習が進まなければ来年も再来年も学校に学費を支払い続けビザの延長を依頼せざるを得ない搾取構造がそこにはある。また、そういった学校で働く日本人の教員自体の待遇も悲惨な状況であることが判明する。


3、日本語学校を受け入れる地方自治体

5章では、過疎化した日本の地方に「町おこし」のお題目のもと新設される留学生受け入れ施設が取り上げられる。岡山県瀬戸内市にある廃校となった小学校校舎を再利用し、2018年に開校された「日本ITビジネスカレッジ」だ。「65歳以上の住民は地区の55%」を占め、「郵便局はあるが、コンビニすらな」く、「市街地に向かうバスは1時間に1本あるかないかで、最終便は18時4分だ」(p140)。
この学校の創設に関わっていたのが、福岡市に本社があるコンサル会社と福岡県の学校法人、そして「瀬戸内市にあるカキ養殖業者「牡蠣の家 しおかぜ」だ。コンサル会社の代表人物曰く、カキ養殖や漁業・農業を体験させながら授業を行っていく、と述べる(p140〜143)。
このような取り組みは全国的に行われ、廃校となった校舎や空き家を活用しながら地域おこしを行うため、「IT」や「グローバル」や「ビジネス」と銘打った専門学校に留学生を招き入れ、専門技能を身につけさせる名目で労働力確保に乗り出している。
「日本ITビジネスカレッジ」は予定通り2018年の4月に始動ししたものの、定員80名に対して入学者は28名に留まった。生徒の「国籍はベトナム、スリランカ、中国など7カ国に及んだという」(p164)。

しかし、それはあくまで日本人の側が描く都合の良いシナリオだ。日本人が魅力を感じない場所や仕事には、外国人も居着きはしない。日本人がやりたくない仕事は、外国人だってできればやりたくない。途上国の出身者であれば日本人が捨て去った「空き家」に住み、嫌な仕事でもがまんしてやってくれるという発想で、本当に地域活性化が実現するのだろうか(p172)


4、ベトナムの状況

6章では、日本を目指すベトナム人留学生の本国で置かれていた生活・情報環境や、日本へと留学生を送り出している、ベトナムにある日本語学校への現地取材が語られる。近年日本に留学するベトナム人は、ハノイやホーチミンといった都市部から、地方の貧しい地域出身者へとシフトしている。経済成長が続き仕事もある都市部と違い、まだまだ貧しさが残る地方では、日本への留学は「ジャパニーズ・ドリーム」と映る。そして賄賂が横行するベトナムの社会的背景が、留学生ビジネスを生み出す素地にもなっている。


5、ブータン人留学生

7章・8章ではブータン人留学生に焦点が当てられる。悪質なブローカーが蠢くベトナムとブータンの大きな違いは、ブータンの日本への留学生送り出しは国家的なプロジェクトによるものだということだ。ブータンの労働人材省と留学斡旋業者が2017年に立ち上げた「The Learn and Earn Program」というプロジェクトによって多くのブータン人は多大な借金を背負い、高い収入や学歴を得られるという甘い言葉に釣られて日本へと送り出される。そしてその留学斡旋業を営むブータン人男性と結婚した日本人女性も、そのプロジェクトとの繋がりが濃厚である。彼女はブータンで日本語学校を経営し、メディアでも海外で活躍する「輝く女性」として取り上げらるほどの人物として紹介されている。これらの関係者に著者が取材を申し込むも、はぐらかされるばかりで留学生の窮状について明言されることはない。
このプロジェクトで来日するブータン人留学生は母国では大学を卒業しており、英語教育も受けている。本来は専門技能を身につけて高度人材となる人たちだ。そのブータン人たちが来日と同時に母国の収入では決して返済できない借金を負うことなく、然るべき教育と支援を受けられるのであれば、本人にとっても日本にとっても良い将来が開ける可能性は高い。


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おわりに、で著者は痛烈な皮肉を投げかけて本書を閉じる。関連するあらゆる制度、あらゆる関係者が「醜悪」であり、それは衰退し余裕が無くなった私たち日本社会を写した鏡なのではないか、と(p303)。
新書とはいえ情報量は非常に多い。こんなにもありありと、私たちの社会があからさまな搾取の構造の上に成り立っていることを照らし出してくれる著者の、長年にわたる取材と労力に感謝しつつ、このテーマに少しでも関心が高まってくれることを期待したい。


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