フリーライターはビジネス書を読まない(74)
帰ってこない
当時まだバイトをやっていた私は、週に3日は朝7時半に家を出て13時に帰宅する生活だった。
「ライターは大阪弁を喋ってはいけない」という柳本の持論を論破してから後、私が帰宅する時間に柳本が出かけていることが多くなった。
私が朝出かけるときは、柳本はまだ寝ている。帰ってきたら、どこへ出かけているのか、部屋にいない。日が暮れても帰ってこない。私が就寝する頃になると帰ってきて、ベッドの下の空間に閉じこもる。そして私が眠っている間に入浴しているようだった。
あきらかに避けられていた。だからといって、私からご機嫌をとったり歩み寄ったりするつもりはない。ここにいるのが嫌なら、宮城へ帰ればいいのだ。
そんな日々が何日か続いたある日の夜、いつものように遅く帰ってきてマックをいじっていた柳本が私を呼んだ。
「夫があたしを迎えに来るそうです。『もう気が済んだだろうから、連れ戻しに行く』ってメールがきました」
(よしっ)
柳本の声は、心なしか明るかった。帰る口実ができたので、安心したのかもしれない。
「いつ来るの?」
「31日といってます」
大晦日か。あと1週間ほどある。
旦那もデザイナーだから、年末進行で忙しいのだろう。それでも、終わりが見えてきたのはありがたい。なにしろ結婚もしてないどころか、アカの他人から家庭内別居の疑似体験を強いられているのだ。
「ここに着くのは何時頃?」
「5時だそうです。朝の5時。あたしの荷物をもって帰るので、車で来るそうです」
宮城から大阪まで車で?
実際には私が頼んだこととはいえ、ご苦労なことだ。もちろん柳本は、そんなこと知る由もない。警察に保護された騒ぎも、旦那には知られていないと思っている。
「そこで相談なんですが、平藤さんにはたいへん失礼なんですけど、朝早いので、荷物を運び出したら、部屋の鍵は郵便受けに入れておきますから、寝ていてください」
いやいや、そんなわけにいかないだろう。旦那が宮城から遠路はるばる大阪まで車を運転してくるのだ。何の挨拶もしないで、荷物を運び出すドタバタの中を寝ていられるわけがない。
「ご挨拶をしたいから起きるよ」
「でも、朝早いし」
「会わせたくないの?」
「……」
柳本は黙り込んだ。
図星か。
大阪でやらかしたことを、旦那にしゃべられるのではないかと警戒しているのだ。
「それは……邪推であって……」
「邪推でよかった」
「……」
12月30日の夜、柳本が珍しく「今夜の夕飯つくります」といいだしたので、一緒に夕食を摂った。
洗い物を済ませて、さてお風呂と思ったとき、柳本が、
「夕飯、足りなかったでしょ。ちょっと飲みに出かけません?」と誘ってきた。
ピンときた。
明日の早朝、旦那が着く。アルコールに弱い私を酔わせておけば、目を覚まさないだろう。旦那に会わせないで済むし、余計なことをいわれる心配もない。そう考えたに違いない。
だから夕飯をつくるといいだして、量をわざと少なくした。あとで酔わせる目的で飲みに誘うつもりだったと考えたら辻褄が合う。
「いま飲んだら、明日起きられなくなるよ」
「寝ていていいですよ」
(つづく)
―――――――――――――――――――――――――――
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?