無意識に無趣味

本当に自分にとって「アイタタタ」と心に刺さるような反省や後悔や自己否定は、誰かに差されることや、叱られたり、怒られたりする事で気付くことではない。

自意識は他人に傷つけられるものではない。無意識にドンと、全然予測も付かないようなところから、現れるものだ。
誰かをイラっとさせた一瞬の苦味潰すような顔も、チッと響く舌打ちも、それはそれで一瞬はヤベェとなるものではあるが、本当に「アイタタタ」となることとは違う。それは自分の内側からやってくるものだ。

そんなことが久し振りにやって来た。
厳密に言うと今も尚それを噛み締めている段階なので、本当にそれが来たのかどうかもまだ分からない。
けど、いま一番自分に強烈にやって来ている恐怖、恐れのような類のものは、自分は無趣味だという事実を知ったことだった。

若い頃。昔はそう言うものが沢山あったような気がする。
夢中になるものが、そう沢山。
例えば、音楽。
それにファッションなんかもそうだ。
スポーツもいろいろやった。
いまはその殆どのことに、ワクワクするようなものを感じることはない。

「仕事が趣味です」みたいなことを言う人がいる。
それはそれで否定はしないし、理解ができなくはないが、自分のことに置いて考えると仕事が趣味ということはない。
というより、そんな気持ちを持って仕事に向き合って来た節がここ数年は特にあったような気がするが、自分にとって仕事は趣味では無いといまははっきり分かっていると言える。
楽しいと感じてやっている仕事はもちろんあるが…。
それとは意味が違う。

ドキドキがない。
感動することがない。
あーしたいな、こうしたいなーがない。
無意識に無趣味。

やばいという感情に押し潰されそうだ。

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コメント (3)
「趣味」を「好奇心」に置き換えても同様の感覚ですか?
好奇心はそう言われてみると確かにありますね。狭い了見で、ある・無いとやっていたのかもしれないと思いました。ただ、いづれにしろそれが趣味であれ、好奇心であれ、新しい体験に対し素直に反応出来なくなっていること自体がここで言う自分の直面の真相なんじゃないか?と掴み始めています。
なるほど。一年程前に旅行へ行ったときに、目の前に広がる初めて見る景色を、似ている別のどこか別の場所に置き換えて受け止めようとしている自分に気付いて、これは原体験なんだ。勿体ないことをするなと意識的に改めた経験を思い出しました。
私は最近新しい事に色々と手を出しているので師匠が増えていますが、先に解釈しようとする気持ちを自制して教わったこと一旦素直に飲み込んでから消化するよう努めています。単に根が単純なのかもしれませんが。
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