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国際都市

いつも通勤で利用しているバス停に並んでいると、何やら列の先の方で女性が叫んでいるんです。
叫んでいるのは、ヨーロッパ系のキレイな外国人女性でした。
よく聞くと「オオサカ!オオサカ!」と叫んでいるみたい。
大阪に向かう夜行バスの乗り場を探しているのだと言うのが分かったのは、「どうしたんですか?」という声を掛けた後のことでした。

いい大人がズラリと揃いながら、周りを囲う列をなすオーディエンスたちは、みんなが雁首を揃えてキレイに無視。
スマホとにらめっこしながら聞こえないフリをし、どこか「どうか、私には声が掛かりませんように」としているようにさえ見えてくる。
一体、この光景は何だ?

我家には男女の子がおり、上の子は小学生に入ると習い事が盛んになって最近は大人と同じような忙しさです。
妻が英語に関わる仕事に就いていることもあり、「グローバルに対応するためには英語くらい出来た方がいいわよね」という話もよく耳にします。
確かに10年や20年前などから比較をすれば、外国人は増えているし、仕事や生活環境の多くに外国人との接点は増えているのは事実ですね。
日本系企業でも、英会話はmustという会社も出てきてますから、これからはますます東京はグローバル都市となっていくのでしょう。

困っている人が目の前にいて、「どうしました?」と問えない。
これは本当に語学力の問題なんでしょうか?
幼少期から子供に英語を習わせる大人の殆どは、自身のコンプレックスでもある国際人から漏れた恥ずかしさをリカバーさせるように英会話学校に送り込んでいるような気がします。
そう言う意味で英語もコンプレックス産業です。
が、しかし。
繰り返しますが困っている人を見て「どうしました?」と問えない理由は、本当に語学力の問題なのでしょうか?
何か違う気がする。

これと似たようなことが実は「地方」という場所においてもよくあるという話をします。
社会の求める環境が変化し、新しい価値観と住民が増えようとしているのに自分たちの常識や型通りのコミュニケーションが取れなければ「除外する」という悪しき風習。
それが地方という場所においてあるのは事実だと思います。
分からないから何でもやっていいワケではないのは当たり前ですが、いきなり頭ごなしに「テメェー、この野郎!」と来られれば、言われた方も何かと思いますよね。

コミュニケーションが足りてない。手段に囚われ過ぎている。ただそれだけです。

美しいヨーロッパ系の美人さんたちは、その後数分後に現れたバスに乗り込み一安心でした。
「ありがとう」とハグを交わし、ほっぺにキスを頂けたのは僕の人助けに対する唯一のご褒美だったのかもしれない。
いい匂いがした。

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