「いつか」という夢は

まぁ、こんな昼下がりの気持ちの晴れたよい風もたなびく日に
わざわざする話でもないから、ただの独り言なんだけど。

いつか、元気になったら。
いつか、普通になれたら。
いつか、大人になったら。
いつか、性別を変えたら。
いつか、「1人」になれたら。
いつか、解離も鬱もADHDも全部克服して、人間になれたら。

そうやってあるかどうかもわからないいつかに願って願いを捧げて、
今を我慢して生きてきたんだけどさ。
みんなも経験あると思うんだけど。
そうやって頑張って生きてきているのに、
「大人になってからの方ができないことは増える」
「だから今そんなあまちゃんじゃやっていけないよ」
って昔母さんに言われたんだよね。

ひどくね?w
いやまぁ言いたいことはわかるよ。
大人でも子供でも、我慢しなきゃいけないことや
それぞれだからこそ経験する苦しみや悲しみはあるってもんなのが
幸せが存在するこの世界の裏側なのだから、
確かにそうだろうだけど。

今できないことがたくさんあって、
今叶わないことがたくさんあって、
今どうしようもない自分と時間に焦りながら、
あるかどうかもわからないものに縋りながらでも
必死に生きてるこの僕らに
「大人になってからの方ができないことは多い」って
言わないでよ。って昔思ってたなぁってふと思い返してね。

いつかばかりが積み上がって、
今ある自分がどんどん崩れていくことや形を失っていくこと、
ただ腐る心だけを抱えながら生身を生きるということに関しちゃ
別に何も思わないわけじゃないし何も思わなかったらそもそも
こんな話題立ち上げないけど、
まぁそこは正直慣れっこなもんで。

神様とか幽霊とかさ、僕の立場上そう言ったものも
「あるかどうかわからないもの」っていう
そのいつかと似たようなもんなんだけど
やっぱり何にせよどんな経緯や経験があるにせよ
その人が信じているものを誰かが否定するのは
ダメってわけじゃないだろうけど少なくとも否定された側は
いい気持ちではないんだなぁ、って感情のおさらいをしたんだよ。

もちろん誰がどう思うのかはその人の自由だけどね。
だけど、こうも思うんだよ。

嫌な気持ちになったなぁ、と思うのなら、
そこで押し黙っちゃダメだなって。
アニメで10歳の女の子が言ってた言葉なんだけどさ、

「他人が自分じゃないのは当たり前。
 だから他人がやりたいことや信じたいものが違うのも当たり前。
 言葉は理解合うものじゃなくて、話し合うためにあるものなのよ。」

って言ってて、あぁそうだわな、確かに共感だけでいいなら
頭ブンブン上下に振り下げ上げとけばいいもんなって思ったのよね。
「嫌だと思った」ことを口に出して相手に伝えると
「嫌がられるかもしれない」「鬱陶しがられるかもしれない」
「あの人に迷惑がかかるかもしれない」「失礼かもしれない」って
人はいろいろなことを考えているけど、
肝心なところを見落としてるなぁと思ったんだよ。
だってそうじゃない?
まるで自分が心配をしないとこの人は自分で自分のことコントロールできない人なんだ、って上から目線で格付けしてるようなもんじゃない?
「私はあなたを赤ちゃんだと思っています、だから心配します。」って
宣言してるようなもんじゃんね。それこそ一番失礼なのでは?と思ってさ。
まぁ、そんなこと言われたって過去のトラウマは邪魔ばっかりするし、
無理して言葉を伝える必要もないとは思うけど。
だからそういう時僕は「ごめん」とか「次から気をつけます」とかじゃなくて、
まず最初に「ありがとう、助かったよ」っていうようにしてるんだ。
そうしたら、“私はあなたに感謝しているよ。“を前提に話を進められるでしょ?
なかなかいい案だと思うんだけど。どうかな。

僕がこれまでに積み上げた「いつか」の数々は、
一体いつ拾われるんだろう。
積み上げられた「いつかに願ったいつかの僕」は、
いつ僕に見つけてもらえるんだろう。
そう、太陽の下で暖かい空気にまどろみながら、何となく思ったんだ。

パーツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?