愛されなかったということ。

「でも、ぶっちゃけ母親のこと嫌いでしょ?憎んでるんでしょ?」と言う声に対して
僕らの返答はこうだ。


…確かに、普通の愛じゃなかったかもしれない。
側から見れば僕は可哀想な人間かもしれない。
でも、僕らと母親や姉上の日常を一条一句逃さずに見てきたわけじゃない上
人は何事も自分のフィルター、つまりは主観を通して見ている…もっと
噛み砕いて言うなら、自分の経験の中から似たようなものを探している
赤の他人にそんなことを言われる筋合いはない。

はっきり言おう、僕は母親から愛されている。
例え愛がなくても、僕は愛してもらっていると信じている。
そして、僕も……彼女彼らを、色々思うところはたっっっくさんあるけど、
愛している。たくさんたくさん、貰っている。

これは僕の持論なんだけどね。
正直、「愛されているか愛されていないか」はどうでもいいんだ。
だって、たとえ誰かにとっても好かれたとして、母親から愛情をたくさん
もらっていたとして、とっても誰かに愛してもらったとして、
もらった自分が自分そのものを愛せていなかったら、
それを受け取ることはできないし、
その人に「愛」が届くことはないからなんだ。

ようは、大事なのは「愛されること」じゃなく
「愛す心」を知ることであり、持つこと。

そもそも、愛をどんなものかも知らないのに、

愛を受け取ってもきっとそれは「愛」にはならないでしょう。

人は先程も言ったように、自分の主観…

自分の「経験」から似たようなものを探すの。

だから表面上の愛とかパターンとかは理解できるだろうよ。

ドラマとか、漫画とか、身近な人の世間話とかで触れるからね。

でも、「愛すこと」は自分からしないと理解できない。

つまり、愛す側の心は一生理解できないことになる。

そうなれば、愛を向けられたとして、

本当にそれを受け取ることができると思う?


…だからね。重要なのは「愛すること」。

これは完璧に僕だけの、誰にも押し付けない僕自身の考えだけど、

「愛すること」は「信じること」なの。

さっきも2回くらい言ったけど、人はみんな自分のフィルター、

主観を通して世界を歩いて生きている。

つまるところ自分が全てなの。悪くも良くも。


相手が裏切った?相手が首を絞めた?

だから愛がなくなった?だから初めから愛がなかった?

ううん。否定はしない。けど。


相手は自分じゃない。

詰まるところ自分が全てなの。

つまるところ貴方が愛を信じることをやめたの。

貴方が愛することを捨てたんだよ。

だってこの世は主観が全てだから。

ないものもあるものに。

あるものもないものに。

全てはその人が信じるか信じないかで世界が容易に転変するの。

愛することを捨てることを悪いとは言わないわ。でもね、

それを正当化して自分の心に嘘をつき続けるために僕らを使うのはやめて。

そうやって僕に近づいて

「親ってほんと最低だよね」だの「親ってマジで〜」と言う話題で

あなたが愛を捨てたことを僕の共感で正当化しようとしないで。

いいね。


大事なのは、「愛されること」じゃない。

「愛すること」よ。

愛することを知らなければ、愛は一生手に入らないわ。

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