究極の二極化論

2年前に私の生き方がちょっとだけ変わってきたなーと思う出来事がありました。

それはある瞬間に神様からお告げがあって( ゚д゚)ハッ!とするような瞬間ではなくて、、、

例えるなら感情のコップに水が少しずつ注がれていって少しだけ溢れてこぼれる様な風景に似ていました。

まさに二極化を考えてきた結果だったんです。

まずはこの二極化についてとても簡単に説明すると

漢字の対義語のように物事を反対の言葉と並べて比べること

・熱い⇔冷たい
・うるさい⇔静か

といったごくごく単純な考えで進めていきます

より思考や生活に馴染みができりるように変えていくと
・休日は家でなるべく過ごしたい⇔休日はなるべく外出したい
・米が食べたい⇔パンが食べたい

こんな感じになっていきます

冒頭の「究極」とは何か?

テレビ番組でよく見かける究極の2択に似ています

先ほどの2極化の文章の頭に「一生」を付けるだけ(^_-)-☆

例で挙げた食についての話だと
「一生」米を食べる生活⇔「一生」パンを食べる生活
となります
状態を極限に高めて迫る2択であるがゆえ、先の未来についてまで深く長く思考できます

2択を選んだあとは?

3つのメリットが生まれます

1つは考える力のレベルアップがあります
米を選んだ場合、パンを選んだ場合でそれぞれ食べることができる、できないものが浮かんでくるはずです
これは他方を選んだ場合、もう他方を選ぶことで得られたはずであろうものを捨てることになります
この考えがすでに経済学の「機会損失の計算」をしていることになるんです。

ここでお聞きしますが、パンが好き?米が好き?と何とはなく聞かれた際に2種それぞれの機会損失を考え、答えたことはありますか?

1つは自分自身の趣味嗜好がより根源的にわかるようになります
つまり何が好きで何が嫌いかをしっかりとした理由をもって説明できるようになります

瞬間の場当たり的な欲求による選択じゃあなく
あるいは1方を選んだ時に過去の体験まで思い起こすこともあるかもしれません
「昔におばあちゃんが握ってくれたおにぎりの味が忘れられなくて」
といったことも理由になるかもしれませんね。

最後の1つが将来を見据える能力が上がります

一生を口にすると、ゴールは最期の瞬間です。
個人的な話になってしまいますが、私は他人を下げるような発言を禁止しています
それはまさに最期の瞬間を考えたからです

その考える切っ掛けとなった2択は

・一生他人を褒めたたえ尊敬する言葉しかでない
・一生他人をけなし陥れるような言葉しかでない
というものです。

自分が今際の際にいる人はたくさんいるのか、誰もいないのか
その人たちはいなくなって嬉しいと笑っているのか

あるいは寂しいと泣いているのか

どちらのエンドが自分は好きなのか考え抜いた結果でした。

どなたかの選択、生きる道筋になればうれしいです

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