許せない精神病院〜それでも許した方が自分のため〜最後の手放し
皆様こんばんは。
私はこれまで自分の精神状態の改善のため、沢山の手放しをしてきました。
noteに記事を書くだけで気持ちが落ち着き、発表すると相手を許せる気持ちになり、怒りを手放してきました。
もう手放すことはないと思っていたのですが、最後にどうしても許せない人が残っていたのです。
それは千葉県の大病院の(当時)副院長です。
精神科の診察室で実験と称して私の脳にクラッシャーをかけようとした医者です。
凄まじい不協和音が頭の中に鳴り響いたので、自分で機械の電源を引っこ抜いて事なきを得ましたが、そのまま大勢の看護師に取り囲まれました。そしてベッドに拘束帯で縛り付けられ、大量の薬を投与されました。
高知県には当時拘束帯はなく、千葉まで来て初めてベッドに縛り付けられた私はショックで口も聞けませんでした。家族が助けてくれるかもしれないとかすかに期待しましたが、私の姿をちょっと見ただけで帰ってしまいました。私は深く傷つき、精神病院と精神科医を憎むようになってしまったのです。
薬はセレネース中心にCP換算で6000を超える(普通の数値は250から800くらい)ほどの多剤大量投与。口の中の粘膜が乾燥して、まともに口も聞けませんでした。頭は朦朧、足元がふらついて階段は手すりにしがみつかなくては降りられず、本当に病人になってしまったようでした。これでますます薬が嫌いになりました。
こんな扱いを受けても患者には人権がないので文句を言うことは許されません。退院請求や苦情受付も形ばかりで機能していません。もう八方塞がりでやけくそになった私はデイルームで他の患者さんたちとゲー厶をしたり、下手になっているけどイラストを描いたりして大声で笑って過ごしました。(その様子を見て副院長が余計に私の薬を増やしたのかもしれません)
一度副院長が私のところに来て、その病院がどれだけ広いか自慢したことがあります。私はそういうことには興味がないので「はぁ。」と言っただけでした。それが副院長の心の拠り所なんだなあと思いました。
その後退院してから、私はこんな●チガイじみた処方をされてはたまらないと思って、自分でいい精神科を探してそちらに逃げました。びっくりしたのが副院長は私が逃げ出すと思ってなかったことです。あんな処方をして患者が逃げ出さないと思うほうがどうかしてます。紹介状を書いてもらうために電話してそれがわかりました。最後まで薬情書はもらえなかったのですが(めちゃくちゃな処方なのがバレるから)、事務でもらった明細に薬の種類と量が載っていたんです。迂闊だよ、副院長。
と、いうことで。
ここまで書いて、副院長はお坊ちゃんなのかなと思いました。威張っていたけど、隙だらけじゃないですか。
なんか、憎むのにも値しないというか。
私の心のピュアな部分をちょっとでもこの人のために憎しみで汚すのは嫌だな。
書いて気が済みました。スッキリしました。
今日も晴れそうです。
春めいてきました。お出かけもいいですね。
皆様にも素敵な一日でありますように。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
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