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動画を600本作ったので編集方法についてまとめる

 さぼってんちゃうぞです。

 Youtubeチャンネル「らっだぁ」の編集を4年ほど請け負っており、現在までに600本ほどゲームプレイ動画を作成いたしました。

笑顔に騙されるな

 本記事ではこれまで作ってきた動画を例に「何が課題で」「どのように解決を目指したか」を示しながら、なるべくどなたでも実践できるような形で解説いたします。


何のために編集するのか

💡要点

 編集の基本方針は「新規でも楽しめる、古参でも新たな発見がある」動画であり、この点だけ押さえてもらえれば読み飛ばしても大丈夫です。
 「じゃあ”みんなが楽しめる”って具体的にどういう状態のことを指すのか?」について考えたのが以下の文章になります。

情報を整理する仕事

 動画は情報の塊です。

 画面上には次々に数字や記号が現れては消え、当然ながらそれらが意味するものを理解できなければ動画の面白味は大きく損なわれてしまいます。

 今のシーンは何が重要で、何が感動的だったのか。

 人数差、マップ、ラウンド差、あるいはこれまでのストーリー…どのような着眼点で映像を捉えればより楽しめるのかを判断するためには

  1. 理解:画面の情報の内容を正確に理解する力

  2. 解釈:その情報が全体の中でどのような意味を持つか推論する力

  3. 評価:どの情報がより面白い/有益かなど、数ある情報を整理する力

からなる画面の読解力が求められ、またその能力の程度はコンテンツに関する知識の多寡によって決まります。

 例えばゲーム配信では、読解力別に視聴者のパターンを以下の4つに大別できます。

  • 初見の視聴者
    前提知識が無い
    「理解→解釈→評価」の理解の段階でつまづく

  • ゲーム目的の視聴者
    ゲームに関する前提知識がある
    ゲーム展開を基準に情報を評価する

  • 配信者目的の視聴者
    配信者に関する前提知識がある
    配信者を基準に情報を評価する

  • 本人
    全ての情報に精通している存在

 ここでは読解力順に【初見<ゲーム目的=配信者目的<本人】の順で映像をより深く理解し、より幅広い解釈をすることができます。

 また、同じ「敵を倒したシーン」に対して「プレイが上手だったから」評価するのか「配信者が勝ったから」評価するのか視聴者によって異なるように、前提知識の内容によって情報に対する解釈のしかたは変化し、評価基準に違いがあらわれます。


前提知識というハードル

 例で挙げたゲーム/配信者目的の視聴者は定まった評価軸を持っているのに対し、初見の方は前提知識が与えられていないために、理解が追い付かない→解釈どころではない→評価できない状態に陥り、結果として「よく知らない人がなんか勝ってるらしい」という印象を抱いてしまいます。

 編集の役割は、そのような視聴のハードルを調整することにあります。

 具体的には、

  • 初見の視聴者向けに情報を正確に理解しやすくする

  • 既存の視聴者向けに情報のより深い/新たな解釈が可能になるようにする

という2つの目的を両立して達成することです。

 前提知識が全く無い方でも理解でき、且つ造詣が深い方でも新たな発見があるような形にすることが理想です。

 気を付けなければならないのは、例えばパズルの「理解する喜び」やホラ―の「未知の恐怖」など、ハードルが良い方向に機能する場面も少なからずあるため、安易に分かり易い方向へ調整するほど良いというわけでもないことです。

 あくまで映像の面白さを構成する要素が何なのかを十分に吟味した上で情報をどのように扱うのかを決めなければなりません。


自分が理解することから始まる

 前述した読解力を構成する3つの要素である、

  1. 理解-「どのような内容か」

  2. 解釈-「どのような意味があるか」

  3. 評価-「どう評価するか」

 のうち、前半2つの要素は編集によって調整できますが、評価は「自身の知識や経験とどう結びつけるか」という個々人の領域であり、こちらからは干渉できません。

 ですので、ともあれ「よい編集」をするためにはまず自身がコンテンツをどれだけ深く理解し、どれだけ解釈のバリエーションを持てるかがカギとなってきます。

 つまり編集する人間は「自身がそのコンテンツをどう解釈するか」以上に「どのような層がどう解釈するか」を見渡さなければならない立場にあり、取り扱う分野についての広範な理解が求められます。

 そのため編集に求められる能力は、

  • 読解力(前述)
    コンテンツを幅広く理解する力

  • 分析力
    「どのような層がどう解釈するか」を推論する力

  • 発想力
    ゲーム、視聴者層に応じた適切な工夫を考える力

の3つであると考えています。


参考になるもの

Game Maker's Toolkit

 ゲーム雑誌『Pocket Gamer』の元編集長によるゲーム評論のYoutubeチャンネルです。
 色覚異常がある方のための色のオプションや、会話が聞き取りづらい人のための字幕機能などの、より多くの人にゲームを楽しんでもらうためのアクセシビリティについて深く考察されており、これは先述した「どのような層がどう解釈するか」と共通する部分が多く非常に参考になります。


Kurzgesagt / 3BlueBrown

 こちらはゲームとは直接関係のない科学的/数学的なテーマを取り扱うチャンネルではありますが、どちらも複雑な内容が映像上で簡潔に表現されており、情報の見せ方を勉強できる上におまけで知識もついてきて大変お得です。


開発者インタビューなどの記事

 「誰がどのように受け取るか」を考えるにあたってまず「どのような意図をもってそれが作られたのか」を知ることは大いに役立ちます。
 特にゲームの場合、ただ楽しく遊ぶだけでは「それがどういう仕組みでプレイヤーを楽しませているのか」という視座はなかなか養われませんが、実際に開発者の方々の言葉をなぞった後で遊んでみると、ゲーム体験がいかに膨大な試行錯誤の上に成り立っているのかがよくわかります。


書籍

 編集者に求められるのはつまるところ客観性であり、言い換えると「評価せず、ただ理解し解釈する」能力です。
 それらを養うには、自身の価値判断とは独立に文中で展開されている議論の論理的正しさのみを追求するような「論脈に忠実に沿う読み方」の訓練をするのが最短の道であると考えています。

 関連するテーマのものであればついでに勉強にもなりお得ですが、読み方の訓練さえできればよい場合には漫画やライトノベル等でも全く可能です。


とにかくゲームを触る

 全ての根源は「ゲームは楽しい」という感情であり、いっぱい遊んでおくのに越したことはありません。


実際の取り組み内容

基礎|LOSTEGG

💡要点

 配信の録画素材というのは、言ってしまえばそれだけで完成しているようなところがあります。
 LOSTEGGでいえば、ウンザリするような何時間ものグダりを配信者と視聴者で共有するからこそ、それによってでしか味わえない絶望感や達成感があるためです。
 しかしそれを動画として仕上げるとなると、どうしても端折らなければならない部分が出てきます。
 断続的なシーンで感情を共有するにはどんな工夫が必要なのか、また「配信らしさ」を残しながら動画ならではの表現を上乗せできないかと考え、このような形になりました。


このゲームについて

 LOSTEGGシリーズは、絶妙に操作感の悪い卵を操り、細く狭い足場を辿ってゴールを目指すゲームです。セーブポイントはほぼなく、壁や床にぶつかるとダメージを負うHP制のためジャンプできる数が限られており、何がなんでも努力を水の泡にしてやろうという気概を感じる設計がなされています。

ゴールしても結局割れて終わる
どういう気持ちになったらいいのかわからない

 編集作業を始めるにあたって、中心的な要素(=見どころ)は何かを考え、それらをもとに動画のテーマを定めた後は徹底して「テーマが伝わっていないとしたら何が原因か?」を探ります。

 『LOSTEGG』というゲームについて考えると、これは高難易度ゲームの中でも『DARKSOULS』シリーズのような、困難に自らのスキルを高めて挑戦し克服していく達成感を味わうゲームというよりかは、むしろ『Getting over it』のような、圧倒的に理不尽なステージ設計や不自由な挙動などのプレイヤーの絶望感を引き出すことに特化した設計がなされており、技量を高めて云々…といった戦略的な側面よりは感情的な側面が意識されて作られた作品であると言えます。

特定の人に向けて、
誕生した、ゲーム。

特定の人を、傷つけるために。

このゲームについて-Getting Over It with Bennett Foddy

 なので編集においては「あの選択や判断は正しかったのか」という攻略目線の情報よりも「理不尽な結果に対する苦しみ、喪失感」などの感情的な側面を強調し、それらの悲劇を視聴者にも共有してもらうような形がこのゲームのプレイ動画として適切なのではないかと考えました。

「攻略的な側面」を強調する例

感情を共有してもらうには

 「悲劇の共有」を目指すにあたって、画面の中のプレイヤーがそうであるように、視聴者にも前述した「落ちたら全部台無しになるゲーム性」を理解してもらい、足場の端に卵が寄るだけで緊張感を持ってもらうような状態が理想です。

 しかしながら実際にプレイしている配信者と、画面からしか情報を受け取れない視聴者では「何がどう具体的に台無しになるのか」についての理解に差があります。

 そこで「このミスがいかに悲劇であるか」を構成する要素のうち、視聴者に何がどのような原因で伝わっていないかを吟味し、どのような工夫で補うかを考えます。


「落ちるのがいかに最悪か」知っているからこそ絶望する

 例えばちょっとしたミスによってステージから落下し、全てをやり直さなければならなくなり、配信者が強烈な喪失感に苛まれるシーンがあったとします。

 その時の感情を具体的に理解するためには、

  • ゴールまで間近だったのに…

  • 難しい場所を越えた後なのに…

  • ほんの少し操作を間違えただけなのに…

といった「どうしてこんなことに」「あんなに頑張ったのに」などのミスに至るまでの過程を知ることが重要です。

 なので「これまでの頑張り」を可視化し、併せて以下のような「このゲームがいかに理不尽か」を理解してもらうことで、配信者の感情をより劇的に訴えることを狙います。

  • 理不尽な操作感
    -卵特有の形状で素直に転がらない
    -些細な操作がまったく意図しない動きに繋がってしまう
    -なんか常に少し動いてる

  • 理不尽なステージ構造
    -狭すぎる足場
    -常に全てがやり直し(=落下)になるリスクがある

 これらの要素が具体的に伝わりやすくなるような工夫を施すことで、配信者の喪失感をより汲み取りやすくします。


 以上を踏まえて、過程を見逃さないよう「卵の一挙手一投足に注目すべきであることを示すような画面」が望ましいと考えました。

 しかしながら通常の画面下に表示されるテロップの場合、文字が出るたびに画面中央と下部を視線が行き来するような形になり、結果としてテロップか卵の挙動のどちらに注目すべきなのかよくわからない画面になってしまいます。

 そのため(卵の挙動、ステージの形などの)過程を自然と意識してもらえるように、テロップは卵を追従するような表示にしました。

 通常、テロップは

  • 「話されている内容を示す」
    =テキストとして扱う
    =情報を示すために使う

ために用いられますが、ここでは「話されている内容を伝えるため」というより卵に視線を向けてもらうための装置として利用されています。

 そのため、この動画のテロップでは

  • 「テロップ自体が視覚的な強調」
    =画像として扱う
    =色や形として文字を見る

ような使い方を意識し、例えば「アアアア!!」といったそれ自体には特に内容の無いものでも、むしろ感情を表すものとして積極的に文字起こししています。

特に内容の無いもの

 視線誘導という点のみで考えるのであれば中央付近にテロップを表示するだけでよいのですが、あえて可読性を多少犠牲にしてでも文字を卵にトラッキングさせたのは、卵の挙動に従って文字が独特の動きをすることで、LOSTEGG特有のもどかしい操作感が伝わりやすくなるかと考えたためです。(1時間で2分しか進まず絶望しました)


シンプルでバレない編集

 画面上で見れば些末な変化ではありますが、視聴者との距離感がより意識されるYoutube/Twitchなどの配信系コンテンツでは、配信当時とは無関係な要素である後付けされた編集が足されるほど、それが却って配信者に対する親近感を損なわせる方向に作用してしまうリスクがあります。

 それゆえ大掛かりな画面の変化をつけようとすればするほど、それ自体の後付け感を払拭するための洗練されたクオリティ(=もうスゴイ時間かかる)が要求されますので、画面に加わる変化自体はなるべく少ない工夫で課題を解決する形が穏当です。

 手間の割に成果が見えづらい編集ではありますが、これはそれなりの数の動画を期限に追われながら作った中で培われた画面変化(より少なく)×解決する課題(より多く)のバランス感覚のもとこのような判断になりました。


応用|Untitled Goose Game 〜いたずらガチョウがやって来た!〜

💡要点

 顔出しをせず、Vtuberでもない、ネット上の匿名の存在であることによってできる表現があります。
 それは「何にでもなれる」ことです。
 今回はその特性を活かし「元からガチョウでしたけど?」みたいなツラをすることで最大限ゲームの世界観を魅力的に演出することを狙いました。 


このゲームについて

 Untitled Goose Gameは名もない1羽のガチョウとなり、平和な街を訪れて市民に嫌がらせをするゲームです。やるべきイタズラのTodoリストがあり、それらを端からこなすと次のエリアへ進むことが出来ます。

 このゲームにはエンディングを迎えるためのいくつかのパズル(ToDoリスト)が用意されているものの、それらは例えばFPSにおける「敵を倒す」といったような喫緊の課題というわけではなく、どちらかというとイジワルなガチョウになりきること自体を楽しむゲームです。

 与えられた目標をいかに達成するかという戦略性、というよりは箱庭の中で好き勝手に動き回れる自由度が魅力とされています。

 『Untitled Goose Game』はドタバタアクション・ステルス・サンドボックス・ガチョウシミュレーター(?)。村の隅々まで自由に散策したりおじさんの帽子を盗んだり、突然鳴いてびっくりさせたりして人間の日常を台無しにしましょう。

このゲームについて- Untitled Goose Game

 絵本のような世界を駆けまわれるこのゲームですが、これらの美術・世界観にまつわる要素を一切考慮せずに「純粋なパズルゲーム=攻略対象」として捉えたとき、単純過ぎたり逆に突拍子もない解き方であったりして、物足りなさ・納得感のなさを感じる場面があります。

 実際、steamの肯定的なレビューはガチョウの存在感を引き立たせるための美術的要素を高く評価しているものが多く、反対に否定的なレビューはパズルの質などのゲーム性に関わる部分に言及しているものが多いです。

 そのため編集においては戦略的な要素ではなく世界観/空気感を強調するほうがこのゲームの魅力をより引き出しやすくなることが考えられますが、「世界観を強調する」には具体的にどのような編集を加える必要があるでしょうか。

 動画を見てわかる通り、Untitle Goose GameでもLOSTEGGと同じようにテロップがキャラクターに追従する工夫が施されています。

 LOSTEGGではテロップを追従させる目的は主に視線誘導でしたが、Untitle Goose Gameにおいては「イメージの誘導」という別の目的があります。


画面からどういう想像を膨らませるのか

 まず画面を見た視聴者が、どのようなイメージで画面を捉えるかについて、具体的には配信者とゲーム内キャラクターをどのよう結びつけてイメージしているかについて考えます。

 ここでは以下の2つのパターンが考えられます。

  • 切り離し型
    ゲーム=攻略対象
    配信者=キャラクターを操作している=ゲーム外の存在

  • 没入型(感情移入型)
    ゲーム=世界、物語
    配信者=キャラクターそのものである=ゲーム内の存在

 切り離し型は例えるなら「モニターの前に座ってプレイしている配信者」のイメージであり、画面内に本人のワイプがあればその印象はより決定的になります。

 ゲームは「遊ぶもの」であり配信者はそれを攻略する、という主従関係にあり、視聴者は「このゲームをいかにして攻略するのか」「はたしてクリアできるのか」といった部分に注目します。

 そのためゲームは配信者のパフォーマンスを見るための媒体として存在している形になります。

 「どのようなパフォーマンスが発揮されているか」が注目される都合上、ゲームについても専ら戦略性の部分のみが取り出され、あらゆる要素が「それが勝利につながるかどうか」という一つの物差しによって解釈されることになるので、キャラクターの心情や物語性などのゲーム性に直接関係のない細部は聞き流されがちになります。

 例えばLoLやAPEXにはかなり重厚なストーリーと相当のフレーバーテキストがありますが、画面を見ながらその壮大な世界観に思いを馳せる…というよりは「そんな事よりどうやったらレートを上げられるのか」が優先される傾向にあります。


 没入(感情移入)型は「配信者がゲームの世界にいる」イメージです。

 より正確に言い表すならば「もともと"そういう世界"に"そういう人物"が居てその様子を我々が目撃している」であり、アニメやドラマを見ているような状況と似ています。

 切り離し型ではゲームを1個の対象物として捉えているのに対し、没入型では「ゲーム=世界そのものである」ようなイメージであり「遊ぶ、プレイする」よりは「(世界に)入り込む、居る」といった表現がより適しています。

 レート主義的なものの見方をする切り離し型に対し、没入型は現実世界がそうであるように無数の評価軸が存在し、ある目的があってそれが達成できなかった場合にも、例えば「その失敗が物語的にどういう意味を持つか」といった新たな解釈のしかたなどが可能になります。

 世界観・美術的要素に重きを置くUntitle Goose Gameにおいて、前者よりは後者のイメージで視聴してもらったほうがゲームとしての魅力を感じてもらいやすいだろうと判断しました。


ゲームの中の現実は壊れやすい

 テロップが画面下に固定されている構図では、俯瞰的に画面を見渡しやすく画面外との境界線が意識されやすいことから、「風景を眺めている」というより「ゲーム画面を眺めている」印象を与えてしまい、今回の目的にはそぐわない形になります。

 ここでは追従するテロップによって、むしろ近視眼的にゲームの外を意識させず、ゲーム内の世界からふと我に返る(=こんなのただのゲームじゃん)事故が起きないように誘導します。

 何よりゲーム世界にとってのリアリティが壊れてしまうのを防ぐことを優先し、ゲーム外の存在・概念はできるだけ持ち込まずゲーム内での要素のみで画面を構成することを意識しました。

編集時のメモ書き

 そのためLOSTEGGでは無骨な影を付けただけの白文字で済ませていたところを、このゲームではガチョウが鳴いた際にでるエフェクトに似せた手書き風のテロップにしました。


競技性と自由度の関係

 FPSや格ゲーなどの競技性が高いゲームでは、プレイヤーの実力が正確に結果に反映される公正さを保つために、例えば

  • ヘッドショットすると必ず死ぬ

  • スキルを当てると○○ダメージを必ず与える

  • 技を繰り出した際、敵が当たり判定内に居れば必ず当たる

といった具合に、ゲーム内で起こされた同じアクションに対しては必ず同じ結果が返ってくるよう設定し、理不尽さを感じさせるような過剰なランダム性は排除される傾向にあります。

 一方で、世界の自由な探索を売りにしているゲームにおいては、世界観をより豊かに表現するために、同じアクションを起こしてもランダムに違う結果が返ってくることがあります。

 イタズラは何が起こるかわからないから面白いのであって、結果や反応が分かりきったものにそもそも好奇心は働きようがないためです。

 勝利を唯一絶対の価値としているからこそ頂点を争うピラミッド構造を可能にしている競技性の高いゲームに対し、「それぞれの価値」を重んじる自由度の高いゲームは、例えばマルチエンディングなどのようにゲーム側で「何がクリア(=最善)か」を明示せずに、ただ世界を細部まで重厚にあらしめて「その人にとっての価値」を見つけてもらうまでただ待っている在り方をしているのが特徴です。

イタズラ電話

応用②|みんなのリズム天国

💡要点

 手を加える前の録画素材を眺めてまず考えるのは「これを面白がるにはどういう想像力が必要か」です。
 UntitledGooseGameでは"ガチョウ"という一貫した存在がいますが、リズム天国ではゲームごとに自キャラが変わるため「このゲームをプレイしている主体」のイメージがなかなか固めづらくなっています。
 そのため右下にプレイしているかのようなアバターを配置しました。 
 一応これも「元からそういうゲーム画面ですが?」というつもりではあるのですが、無視できないほどデカい置物になってしまいました。
 こんなリモコン振るゲームじゃないし。


このゲームについて

 「リズム天国」シリーズは「リズムに乗る」をコンセプトに作られた任天堂の音ゲーです。音符が流れてきたタイミングでボタンを押す形式の一般的な音ゲーとは違い、このゲームにおいては目押しが非常に難しくなっており、文字通りリズム感が求められます。


👵「このおじさんがおばあちゃんってこと?」

 ここまでの内容はまとめると「画面に映るものをどう捉えたらよいのか」についての話でした。

 要するに初めてマリオを触るおばあちゃんに「この赤いおじさんがおばあちゃんだよ」と自機の概念を教えるのと似たような事です。

 「お母さんに嫌われないゲーム機」ことファミリー向けに開発されたWiiとそのソフトには、上記で述べたような課題についてかなり考え尽くされており、ゲーム文化に触れたことのない人でも直感的に理解して遊べるような工夫が随所に施されています。


 例えばbeatmaniaやmaimaiなどの一般的な音ゲーでは、より正確なプレイングによって高いスコアを目指すことが基本的な遊び方ですので、そこに集中できるようノーツ(音符)ごとの可否は最小限の演出に留められています。

 「スコアによる比較」という競技性が公正に保たれるよう、プレイヤーの実力を正確に反映するためにプレイの妨げになり得るノイズはなるべく排除されているといった形です。

 一度プレイ方法を覚えてしまえば後はやることは同じなので、上級者のプレイを見て一目で「すごい」と思える(=何が起きているかがわかる)一貫性が強みではありますが、裏を返せば即座に上級者と同じ土俵に立たされるということでもあり、その硬派さから多少のとっつきにくさは抱えてしまいがちです。


誰が「あなた」なのか?

 一方でリズム天国にはノーツにあたるものが無く、ステージごとに変わるルールの中で流れる音楽とアニメーションに合わせて2種類のボタンを押してプレイするゲームです。

 画面には「あなた」と表示されたキャラクターがおり、リズムに乗るのに成功したり失敗したりするとそれぞれリアクションを取ってくれるので、全くゲームに触れてこなかった人でも状況がわかりやすいように表現されています。

 例えば家族や友達などのプレイを「隣で見る」状況では、「あなた」は隣で遊ぶプレイヤーとゲーム内キャラクターを結びつける役割を果たし、このおかげでミスをした際の苦しむキャラクターの姿をプレイヤーと重ね合わせて楽しむことができます。

 ですが「プレイ動画で見る」場合には、素のゲーム画面内には「隣の人」にあたるものが無いので、視聴者はWiiリモコンを必死で操作しているであろう配信者の姿を想像で補完し、更にそれをゲーム内キャラクターと頭の中で結びつける必要があります。

 この視聴者にかかる想像力の負担は、まるごと視聴のハードルとして機能してしまうので、それらを軽減すべく隣でプレイしているかのような立ち絵を画面端に配置しました。

 立ち絵であることの利点として「画面に最適な形で配置できる」柔軟さがあります。

 これが実写のワイプだった場合、AとBボタンだけのシンプルな操作もあいまって、変化の無い画で画面を占領するくらいだったら「無い方がマシ=ゲーム画面に集中して想像で補った方が面白い」といった事態にもなりかねません。

 一方で立ち絵の場合はイラスト調でゲーム画面に馴染ませたりなど自由に誇張が可能であり、状況に合わせて存在感を調整できる強みがあります。

 これによりミスをオーバーに演出したり、さりげなく背景に合わせて見た目を変更したりすることで、シンプルなゲーム画面からダイナミックに想像を広げることができます。

そもそもリズム天国にリモコンを振る動作はない

発展:VCRGTA(第一回)

(再生リストの2,4,6,8,10,11,13~15,17,19,21~27本目の動画についての話です)

💡要点

 人の数だけ物語があり、思想があり、アクシデントがあります。
 一部では「無限撮れ高製造機」と呼ばれたこの大人数企画ですが、今回はそれを仕組みから解明することでなんとか操縦できないかと考えた結果、「物理的空間」であることにヒントを見出しました。
 空間には風景があり、風景は日常を生みだし、日常の定義によって同時に非日常も定義されます。
 この日常と非日常の交錯がドラマを生む、という仮定のもと編集に取り組みました。


企画を精確に理解する

 これまでは視線やイメージの「誘導」についての話でしたが、ここでは「そもそも何に誘導すべきか?」という根幹の部分について考えていきます。

 これまで取り上げたゲームは「何をもってクリアとするか=ゲーム性」が明白なのもあって、ひとまずはそれに沿った編集を加えるのが無難な選択だったのですが、GTAやMinecraftのような極端に自由度の高いゲームは「何を目標とするか?」という段階から自ら企画する「ゲームを作るゲーム」であり、編集するにあたっては都度変わる目標に応じた編集が求められます。

 その際に作られたゲーム(=企画)の何を醍醐味として捉えるかによって「画面をどう捉えてもらうべきか」という編集の方針が大きく左右されます。


ただの空間が誰かにとって意味のある場所になっていく

 VCRGTAという企画を考えるにあたってまず注目したのが、普段YoutubeやTwitchなどでは各々が自由に配信を行っていますが、そういった配信プラットフォームの様子がこの企画では空間的に表現されていた事です。

 物理的な距離の概念があることで、配信者同士のコミュニケーションの表現の幅が大きく広がります。(例:轢かれた人の怒号が遠くから聞こえる)

 普段はDiscordなどの形を持たない空間で行われていたコミュニケーションが視覚的な風景のある空間で発生することによって、GTA5においては単なる景観づくりのために無機質に配置されていたオブジェクトも、そこで事件が起きたりすることでより印象的な思い出のある「固有の意味を持つ場所(例:きなこ山脈)」になっていく過程を楽しむことができます。

 切り抜き動画を見渡す限りでは、何かが爆発したり面白い応酬があったりといった刹那的で激的なシーンが主に「撮れ高」として話題になっていましたが、上述したような「背景情報が加わる=よく見知った街になっていく」過程を丁寧に描写することで、むしろ何気ない出来事ですら撮れ高として無限に掘り起こせるのではないかと考えました。

 例えばただ視界の端を車がふと通る、という何でもないシーンに「実はこれから大強盗を起こす犯罪者が乗っていた」といった背景情報が加わると、実際に何か起きた訳ではない時間も情感のある場面として立ち上がってきます。

 そこで派手なシーンだけでなく、画的に地味であっても「この街は今どうなっているのか」という情報に富んだ場面は可能な限り取り入れるようにしました。

 この動画の冒頭はその方針が良く現れている箇所で、絵面自体は2名の男性が動かないだけの場面なのですが、会話内容としては街の内情を知れる情報的に重要なシーンです。

 ここでは【情報をわかりやすく説明する+間延びしないよう画面的な変化を加える+後付け感はなるべく無くす】ために、元からゲームに備わっている機能ですが?みたいな面でiPad風に情報を表示させています。


繰り返しで「日常」が形成されていく

いつもの職場/同僚/ベンチ

 同じような取り組みとして、シーンの冒頭はなるべく病院前やベンチ、救急ヘリなどの「いつもの風景」から始まるよう意識しました。

 同じ情景が繰り返す中で「日常」のイメージが固まると、新しい場所や人に出会った時にそれらを「非日常」として際立たせることができるためです。

日常を非日常を明確に分ける

サムネイルでの試み

 全参加者がよくわかってないままにとりあえず犯罪に走ってみたり、無駄に高い請求をしてみたり、誘拐してみたりしながらゼロから街の空気感が醸成されていくライブ感がこの企画の魅力でもあります。

 それを高い純度で感じてもらえるように「その場で起きたことだけで判断してもらう」=「シーンを理解するにあたって配信者とVCRGTA以外の前提知識を必要としない」ような形をなるべく目指しました。

 なのでリアルタイム性とドキュメント性のある今までとは毛色の違う動画であることを示すために、それまでMinecraftのモデルしか使ってこなかったサムネイルに初めて「Twitch配信者としての姿」である丸いアバターを使用しました。


おわりに

「どう強調するか」は自由

 本記事では「画面の捉え方」という切り口で、

  • 「何を強調すべきか」=目的

  • 「どのように強調するか」=手段

について解説してきましたが、重要なのは根幹にある「どういう動画にしたいのか」から出発し、

  • 「どういう動画にしたいのか」
    →「画面をどう捉えてもらうべきか」
    →「どの情報を強調すべきか」

と具体的な課題に分解していくまでの過程であり、今回紹介した「追従するテロップ」等は無数にありうる解決策の1つにすぎません。

形式を作って破る

「どう変化しているか」はあまり関係ない

 VCRの段で述べた「日常」「非日常」の関係性と同じように、普段の形式があることを示し、そこからの逸脱によって強調は成立します。

 テロップでいえば文字サイズを大きくする・インパクトの強いフォントにする等の方法が一般的ですが、強調において大事なのは逸脱であり、変化が付けられてさえいればどのような手段(むしろテロップを過剰に小さくしたり)でも視線を集めることは可能です。

オーソドックスな位置+サイズ+フォントでの強調【動画リンク】
「テロップが長すぎる」という強調【動画リンク】
これも【形式を作る⇀破る】の一例【動画リンク】

 これで以上となります。

 この記事が参考になったり、踏み台になったり、悪例として反面教師的に活用されたりしてYoutubeの動画巡りがより楽しくなったら大変うれしく思います。


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