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考える。

エッセイが止まっている。

描くのが不安になっている。

どうしてか。

この先の展開で当時のわたしは
「親との全てのことを水に流そう」とする。

その心とは裏腹に
親への憎しみは膨張していく。

そして、「全ては親のせいだ」と
考えるようになる

作中で「毒親」という表現を避けてきた。

たった2文字で端的に伝わる言葉だから
省略のために使うこともあったが
なるべく避けてきた。

わたしのエッセイを読んで下さっている方の中には
親御さんもいる。

実家暮らしの学生の方もいる。

こんな話を選んで読まれるくらいだから
今までに何かあった人」や
いま現在何かあってる人」が多いだろう。

いろんな事情を持った方々が
わたしのエッセイを読んで下さっていると思う。

わたしが両親を
「毒親」とすることで傷つく人もいれば、

わたしが両親を
「毒親」としないことで傷つく人もいると思う。

今後の展開で読む人を
どういう気持ちにさせてしまうのか

不安で手を動かせなくなっている。

**エッセイを描く目的は2つ **

過去の感情と向き合い、整理、浄化し、しずかな心で創作に打ち込めるようになること

読む人に当時の出来事を追体験してもらい、最終的に一緒に立ち上がってもらうこと

どちらも達成するためには
最後まで描ききることが必須だ。

その過程で読む人を不快にさせてしまったとしても
ありのままを描いていくべきだ。

脚色はしても美化はしない。

わたしは自分の描きものの
一番の読み手に
かつての自分を見据えている。

何にも心が動かなくなってしまった きみに、
ただ天井を見つめて死ぬときを待っている きみに、
響かない話なんて描く意味がない。

今後どんなに創作活動を続けて
どれだけの人に認めてもらえたとしても
きみに振り向いてもらえないなら
わたしの作るものに価値などありはしない。

わたしは昔から少年漫画が好きだ。

どんなに苦しんでも
最後には必ず勝ってくれるから。

不幸に苦しむ姿が見たくて物語を観るんじゃない。

不幸の中でも何かを勝ち取る姿が見たくて
物語を観るんだ。

自分のことのように思って応援するから、
自分のための物語だと思うから感動できるんだ。

でも、きみはじぶんのことが嫌いだね。

世の中の、全ての人に向けられた
どんな素晴らしい言葉も、
自分だけは除かれているような気持ちがするだろ。

だんだんと文字が読めなくなってきて、
人の言葉も聞き取れなくなってきたね。

自分の頭の中の声ばかりが
大きく大きくなっていくね。

みんな口を揃えて
きみに「死ね」って言う。

誰からの連絡も絶って
広いベッドの脇に縮こまって泣いている。

床の上に弁当の空き容器が増えていく。
通帳の数字は減る一方だ。

夜中、さみしくて誰かと一緒に死のうと
家の鍵をかけない、不用心な女性を探してはメモして回ったね。

殺さずに済んだのは理性が残っていたからじゃない。
自分が嫌いすぎて、誰かに近づくことすら
申し訳なく感じたからだ。

どこにも居場所がないと思ってるだろ。
自分のためのものが世の中には無いと思ってるだろ。

涙で乾いた目の周りの皮膚は恐竜だ。

心臓が痛い、

心臓が痛い、心臓が痛い、

心臓が痛い、心臓が痛い、心臓が痛い

そうだろ!


わたしだけ は きみの気持ちが分かる。
そして、きみだけ は わたしの気持ちが分かる。

だからどうか わたしに耳を貸してほしい。

わたしが語るすべては
きみのための物語。

きみがわたしになっていく過程を
みんなに見せたいと思っているんだ。

忘れているようなことも細かく細かく思い出すよ。
どんな醜い感情も拾うよ。

でも、約束する。
必ず魅力的に描くよ。

描けるはずだ。

きみがずっと
漫画を描いてきてくれたから

必ず最後まで描く。

きみは消したい過去なんかじゃない。

わたしに、ずっと
死ぬまでついてきてほしい。

きみがいてくれないと
わたしは何も描けなくなっちゃうんだ。

わたしは他人を優先しすぎる

でも、自分のことを疎かにしているうちに
他人のことも疎かになっていくものだ。

考える、考える。
きみのことを考える。

きみのおかげで描けるのだから。

きみのことを描く。
きみに向けて描く。

考える。

きみのことを考える。

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