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存在無視 〜私は誰からも認識されない存在〜

小学校の頃
朝の会で行われる
出席確認の時間が
私はとにかく苦手だった

なぜなら
「はい」という二文字を
大きな声ではっきりと言うことが
私にはできなかったからだ

私は失敗すればするほど
出席確認で名前を呼ばれるのが恐くなり
心のどこかで
「出席確認の時間なんてなくなってしまえばいいのに」
と願っていた

すると、その願いが届いたのか
ある日、突然、本当に出席確認の時間がなくなった

正確には、出席確認の時間に私の名前だけが呼ばれなくなった

毎朝出席確認を行っていた保健係のAちゃんが
私の名前を呼ばなくなったのだ

Aちゃんは私の前の出席番号の人の名前まではしっかりと順番通りに読み上げるのに
私の順番が来ても私の名前は呼ばず
私を飛ばして、私の次の出席番号の人の名前を言うようになっていった

あれだけ「出席確認の時間なんてなくなってしまえばいいのに」と願い続けていたはずなのに
その願いが叶うと
私は複雑な気持ちになった

もちろん苦手でしかたがなかった「はい」という二文字を発する必要がなくなったという意味では
気持ちが楽になったのだけれど
私は心から嬉しいとは思えなかった

Aちゃんに出席確認で一人だけ名前を呼んでもらえないということは
少なくともAちゃんからは
私はクラスの一人として尊重する価値がない人間だと思われていたということでもあったからだ

しかも
私の名前が飛ばされても誰も抗議の声をあげなかったということは
当時のクラスメートの中に私のことを認識する必要があると思っていた人が一人もいなかったということでもあった

そして、その後も
Aちゃんが出席確認を行うときに
私の名前が呼ばれることはなく
そのことに疑問を持つ人も現れなかった

私の名前が呼ばれないことが当たり前という空気になればなる程
私は私がクラスにいてもいなくてもいい存在であることが認められていくような気がして
悲しい気持ちになっていった

いじめにはいろいろな種類があるけれど
私はこれもいじめに含まれるのではないかと考えている

その場にいるはずの人の「存在」そのものを「無視」すること

それは
どんな理由があろうとも
絶対にやってはいけないことなの一つなのではないだろうか

この記事は2015年9月23日に下記のサイトで投稿した記事の転載です
https://izimedarake.hatenablog.com/entry/20150923


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